2005年12月(2)
ハイテク韓国国会
2005年12月31日
怒涛のブログ3連発で本年は終了するつもりであったが、おまけを一つ。
昨夜のTVニュースで韓国国会において、「年末に迫ったイラクへの韓国軍派兵期限を1年間延長するとともに派遣規模を現在の3,200人から2,300人に削減する派遣延長案を賛成多数で可決、同案は成立した」ことが報じられた。このこと自体に言及するつもりはないが、画面に写った会議場がおもしろかった。
各議員の議席には、タッチパネルの機能を持ったモニタがあり、画面にタッチして、賛成、反対を投じているように見えたからである。日本の議会は、青か白のお札を持って議長席の下で投票したり、賛成の諸君が起立したりして投票する。
ところが、隣国の国会は機械化されていて、さすがにブロードバンド普及率世界一を誇るだけのことはあるなと、大いに感心した。
わが国で導入されたら、「大勲位」とか老体は操作できるんやろか。「おい出ないぞ!」と、事務局が振り回されて大変かなとか思ったりして。
打ち納め
2005年12月30日
怒涛の3連発の最終弾。
本日はゴルフの打ち納め。好天に恵まれたが、同じような場所で3回打つという初めての経験もする(グリーンにのらず、斜面を戻ってくる)。ところで、もともとは本ブログはゴルフを中心としたスポーツに関するコラムを書くつもりで立ち上げたものであった。しかし、脱線また脱線で、ゴルフに関する話題は数えるほどであった。
今日ようやく、ゴルフの話を一つ。
今年は、正月から雪にたたられたりしたが、坐骨神経痛を発症させることもなく、35ラウンドを消化した。10月には八王子のビジネスホテルに泊まってまで、連荘をこなした。
平均スコアは90.8(パー71とかもあるが、単純に平均。今年は1.5ラウンド回った日はなかった)で、90ちょいだろうという本人の感覚と一致する。
さて、来年はどういうスコアでまわれるのだろうか。関心がゴルフよりも、山の方にいっているけれど。
明日、ブログをUploadするつもりはないので、これが本年最後の記事である。
よいお年をお迎え下さい。
大きなお世話
2005年12月30日
怒涛の3連発の第二弾。
大きなお世話とくれば、小さな親切となるわけだが、到底親切な行為だと思えない行為に遭遇した。
小生がBフレッツを導入して、悪戦苦闘して、無線LANを使えるようにしたのは、11月16日のブログ「光電話と格闘の記」にそのてん末を書かせていただいた。
さて、その後、動画が見えないことが判明した。娘から家内に来たメールに「私が出ているから、この番組を見て」と書いてあった。URLを打ち込んだけど、やはり見えません。その後は、謙虚な古い日本人ゆえ、「誰のせいでもありゃしない、みんなおいらの(設定が)悪いのよ~~」と思い、WindowsXPのコントールパネルから、設定を色々いじってみたが、埒があかない。
いよいよ、たまりかねてNTT東日本のフリーダイヤルに電話したら、「そういう症状の問い合わせは多い。当方の作業者がパソコンを抱えて出かけて、同様の症状が出るか、確認したい」とのたまう。しかし、「この電話はお宅とは違うエリアにかかっている。お宅のエリアの保守者から電話させる」とのこと。電話を受けてくれるのは、いいけれど他に言い方がないのかね。
電話を待つことしばし。かかってきた電話で、「プロバイダはどこですか」との質問。「Plala」と回答すると、「『ネットバリアベーシック』」というフィルタがかかっており、動画が見えないのはそのせいではないか。解除はWEBサイトにアクセスして可能」とのこと。
要するに、有害リストホームページとか、動画で必要なストリーミングをブロックしていただいていたようである。これらの機能をオフにして、動画が見えるようになった。Plalaの全くもって、大きなお世話、役に立たない親切であった。
Plalaの経営者の人、Bフレッツ+プロバイダPlalaに本当に入っているの?
みるもんか
2005年12月30日
怒涛の3連発の第一弾。
明日のNHK紅白歌合戦の司会者にみのもんたが決まった時、「みるもんか」というコピーがはやった。小生も全く同感。1月4日には、脊椎管狭窄症の手術で入院されるとか。俺も坐骨神経痛持ちで、痛いのはわかるから、どうでもいい番組の司会なぞやめて、とっとと入院されることをお勧めする。
民放の番組に出まくっていて、NHKと関係のなかった持病持ちの人間を引っ張り出してまで、放送する紅白歌合戦というのは何様?
こんな番組を流しているくせに、やれ公共放送だの、スクランブル化はどうたらこうたらとか、不払い者には法的措置だというのは笑わせるね。
法的措置? 結構ですよ。受けてたちますよ。
放送法だけでも十分戦えますよ。他に、商法、民法、憲法まであるのよ。わけのわからん法的措置に対して、わけのわからん金を出すのは納得がいかんと戦う意欲のある人間は俺だけではないよ。
NHKさん。金日成のご子息がタダで、見ているんだよ。衛星放送を。早く、スクランブルかけろよ。
牛にひかれて・・・
2005年12月28日
「牛にひかれて善光寺参り」という慣用句がある。意味としては、「長野の善光寺の近くに住む老婆が、干しておいた布をとなりの牛が角に引っかけて走っていくのを見て追いかけ、思わず善光寺にやってきたのを機会にお参りし、それからもたびたび拝みに行ったという伝説から、本心からでなく他のものに誘われて、思いがけずに善事をすることのたとえ」ということらしい。
小生の場合は、牛が奥様となり、「家内にひかれて清荒神(きよしこうじん)参り」ということにでもなろうか。清荒神は正式には、清荒神清澄寺といい、火の神、台所の神としてあがめられているらしい。そういえば、実家の台所の神棚に御札があった。阪急電鉄宝塚線には、文字通り清荒神という駅がある。さて、本日のブログの清は氷川きよしではなく、前川清である何度か、生で聴いているうちに、年も近いしで、まあいいじゃんという感じとなっている。
先日、牛ならぬ家内にひかれて、前川清のディナーショーに行ってきた(奥さんが前川清を追いかけていることは、内密のようなので口外しないこと)。何でも、23日までは名古屋の御園座で、梅沢一座と競演しており、24日には大阪でディナーショー。25日が東京のヒルトンホテル、26日は山形で同じくディナーショー・・・という予定らしい。年末には、紅白もあるし、忙しく稼いでいる。
ホテルの宴会場には、50弱の丸テーブルが用意されている。1テーブル9~10名程度の収容なので、450人といったところか。我々夫婦は、一番前の隅のテーブル。隣のテーブルは、ご招待のようだが、北沢豪の顔が見える。隣は奥さんかな。さて、このショーのチケットの定価は40,000円だけど、事務所とホテル側の取り分はどういう割合になっているのか、興味あるところである。ホテルとしても、人でがまとまって必要だけど、悪い仕事ではないと思われる。食事もそうたいして、金がかかっているようには思えない。うまければ、メニューでも書くのだけれど、省略したい。
席近くに清さんが回ってきたので、握手をする。さて、何度目だろうか。来年はどうなるか、どういう風に書こうかと思って、原稿を暖めているうちに、羽越線特急の脱線事故が起きてしまった。
職業としての物書き
2005年12月24日
物書きは小生の憧れの職業である。もう一つの憧れは、株屋。今はやりの言葉で言うと、デイトレイダー。しかし、どちらにも才能があるとは到底思えないので、会社勤めを続けている。
物書きは、もちろん才能が必要だろうが、もう一つ根気も必要だと思われる。というのは、かなりの量を書かなければ、単行本はもちろん、雑誌のエッセーも成立しないことを書いてみたい。
我が家で毎週買っている週刊文春、週刊新潮にはおもしろいエッセーが載っている。文春で言うと、夜ふけのなわとび(林真理子)、風まかせ赤マント(椎名 誠)、すっぴん魂(室井 滋)、さすらいの女王(中村うさぎ)等々である。一方、新潮のほうはというと、コラムということで、幕末バトルロワイヤル(野口武彦)、おれのゴルフ(青木 功)、日本ルネッサンス(櫻井よし子)等々である。
これらのエッセーは大体見開き2ページ仕立てである。この見開き2ページの記事を成立させるためにどのくらいの原稿が必要になるのか、文字数を数えてみた。といっても1、2、3、4、・・・と文字を数えたわけではない。
1行の文字数と、行数を数えて掛け算をしてみた。文春の「風まかせ赤マント」では、1行が16字で、記事全体では151行であった。掛け算すると、2416字となり、400字詰め原稿用紙6枚という結果になった。毎週毎週6枚の原稿を書き、1本だけではおそらく食べていけないから、何本も抱えて、こなしていると推測される。
才能だけでなく、根気、あるいは集中力、爆発力がないと、続けていけないのだ。職業としての文筆業は。
このブログの一つ前の顔振峠は、かなり書いたと本人は思ったけれど、編集画面でみると1500字弱である。これでは、よほど大きな挿絵を入れないと見開き2ページが成立しない。
やはり、いまの職業を続ける方がいいみたいだ。
ちなみに、単行本はもっとすごくて、茂木大輔:オーケストラは素敵だ-オーボエ吹きの楽隊帖(音楽之友社)で数えてみると、1行43字、1ページ16行、200ページである。掛け算を実行すると、実に400字詰め原稿用紙344枚となる。楽器の絵とか、写真も出てくるので、この数字よりかは減るとは思うけれど、300枚ぐらいは必要だよね。
NHK交響楽団のオーボエ首席奏者には、文才と根気もあるようである(オーボエの練習はしとるんだろうね。模型を作ったり、雑文書いたりで、心配になるよ)。
というわけで、職業としての物書きを目指す皆さん。どうやったら、これだけの枚数に文字を埋められるかよく考えてから、進んでください。ここまで書いても、やっと1100字ちょっとだからね。大変だよ。
顔振(かあぶり)峠
2005年12月23日
6時頃に一度目を覚ましたのだが、二度寝をして大泉学園駅8時45分の各停には乗れずじまい。結局、9時20分の飯能行き普通となる。予定の電車に乗ったならば、9時46分に吾野に着いたはずだが、10時24分着となる。出発が35分遅れて、到着が38分遅れだから、快速急行を逃してもそんなに時間的には損はしなかったということか。あるいは、快速急行がそんなに早くないということか。
さて、吾野駅に着いて山に行きそうな人が何人か下車して、トイレでご一緒したけれど、結局のところ表題の顔振峠を目指したのは、小生一人。他の人はどこに行ったのだろう。
西武鉄道が発行しているパンフレット『奥武蔵ハイキングマップ「顔振峠」』によれば、「義経と弁慶主従がこの峠を越える折、あまりの絶景に何度も振り返ったことが地名の由来になったといわれています」とある。確かに、振り返った時の山の景色は美しかったが、体力のない現代人にとっては登りがきついし、道は悪いはで、肩で息をしながら度々止りはしても、振り返って景色を堪能する余裕はあまりなし。
で、顔振峠に着いたのは出発から約1時間後。携行した山と高原地図22「奥武蔵・秩父」(昭文社)にはこの区間の所要時間は1時間05分と書かれているから、まずまずのペースか。ちなみに、この地図は紙ではなく、ビニールシートのようなものに印刷されており、お菓子のような甘い香りがする。
ついでに地図のことをいうと、本日歩いたコースは、国土地理院が儲かるコースで、持参した25,000:1地形図は「正丸峠」、「原市場」、「越生」、「飯能」の4枚。4枚の地図の隅のほうをたどるコースである。地形図はオーバラップしていないので本当に見づらい。
本日は、西武鉄道のパンフレット(地図入り)、市販の50,000:1地形図、国土地理院の25,000:1地形図を持参したので、所在地の確認は問題なし。それでも、もし遭難したら、「会社員無謀登山で遭難!」と書いてもらえるんだろうな。
荒れたところを登ったり降りたり、あるいは平坦な道を行ったりで、1時ごろユガテ(湯ヶ天:お湯が天まで噴出していたのが地名の由来だと何かで読んだが)に到着。ここで、やかましい8人ぐらいの集団に遭遇。食事を摂っていたけれど、下にある民家の人もたまらないだろうと思った。ちょっとした広場にトイレがあるので、借用。近くに「本年はゆずが不作なので、ゆず狩りはしていません」と貼り紙がある。来年も来てみてゆずを買ってゆくか。
標準コースでは、ここユガテから東吾野駅に下りて行くのだが、隣の武蔵横手駅を目指す。ユガテから、しばらくはきつい登りで、休み休み登る。やや平坦になった日当たりのいい場所でしばし休憩。
元気になって、暫く行くと、前回の山行き(ブログ:よく歩いた一日)で歩いたところとぶつかる。そこからは、前回とは逆にあるいて、武蔵横手駅を目指す。途中、五常の滝に立ち寄ったが、じっくり眺めるとなかなか風情のある滝だ。
下り道を(膝に来ながら)ぐんぐん歩いて武蔵横手駅到着。ばあさんたちがうるさいし、切符を買うのにも大騒ぎで、下界に来たことを痛感させられる。
武蔵横手駅14時21分発。飯能駅で乗り換えて、14時40分発で帰宅。
本日は昼食は抜き。お菓子少々とみかんとお水が昼替わり。反動がきた感じで、ビールを飲みながら投稿。
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2005年12月21日
今日の読売新聞に「くろしお通信」の陸上部が廃部になると載っていた。黒潮通信は、高知でNTTドコモの代理店を展開しているようだが、陸上部を抱えるほど、儲かってはいないということか。
野口みずきは所属していたグローバリーも社長が捕まったりしたので、検査機器メーカのシスメックスに移籍した。
小さい会社は業績に左右されるので、廃部がたびたび問題となる。では、大企業ならいいかというとそうでもない。カネボウは防府工場の廃止で、選手は別の工場に移る(つぶれるよりはいいか)。
企業に依存している(していた)アマチュアスポーツ全体の問題だけど、では企業から独立して、クラブチームでやっていけるかというと、それはどだい無理。
俺のようなどうでもいいアマチュアゴルファー(当たり前のことながらすべて、自己資金だ!)ならいざ知らず、全国レベルで戦うためには資金が必要で、スポンサーは必要となると思う。母校の倶楽部にも、全国レベルの選手を援助する基金があって、多少寄付している。
プロでもおそらく同じ問題があるのだろう。試合に出続けるには、資金が必要なのはわかる。でも、ゴルフの横峯さくらのようにあやしい(? 個人的な印象です)ダイエット食品の会社に所属するのはどうだろう。おやじが金に目がくらんだのではないかと、俺はにらんでいる。
彼女の場合は、キャディーをきめて(暫くやってみて)、不動裕理のようにフリーでやっていくほうが、俺はいいと思うけど。用具の契約とか、ウェアの契約とか、TVコマーシャルとか収入はいくらでもあるのでは?
何がいいたいかわからないブログとなったが、要するにアマチュアスポーツとは何かということか。
明治がどうかしてしまった
2005年12月20日
箱根駅伝に今回も明治が出場する。昨年は昭和記念公園まで予選会を見に行ったが、明治の名が読み上げられると、歓声(驚きが半分混ざる?)があがった。で、今年も続けて本選出場である。
話はかわるが、駅伝が伸びたら、ラグビーが沈下した?と思いたくなる昨今である。
12月4日の対抗戦では、出だしこそ7-3と早稲田に食い下がった(あくまで数字上)が、そこまで。終わってしまったら、40-3。
それから、2週間たった大学選手権。テレビをつけたときは、大体大を24-17でリード。何とか逃げ切るかと見ていたが、24-24に追いつかれる。その時は、引き分けの時は延長ってあったかと悩んだが、いや抽選だと気がつく。しかし、そんな悩みは無用であった。あっという間にトライを積み重ねられて、43-24で終了。
早稲田とここまで差がついた理由は、選手集め、練習環境、指導者、それからなんかあるのだろうか。
明治のFWが押しまくられるところなんぞ見たくないが。来年はどうだろう。
冬はゴルフの季節にあらず(2)
2005年12月19日
17日の土曜日に渡良瀬カントリークラブでプレー。7時30分スタートなので、グリーンは凍っている。メンテがいいのか、ずっと凍結しているためか、グリーン上にピッチマークが非常に少なく、その点ではいいグリーン。しかし、18日でなくてよかった。18日だと、完走もあやうかったと思われる。
この日もパーオンはわずか1回。それで、スコアが91なのは、うまいのか下手なのか。
少し考え方を変えて取り組みたいと思うが、どう変えるかは現在のところ知恵がない。
周りが広いのだから、けちなOB杭をたてるのはやめましょうよ。
渋滞知らずで、早々に帰宅できたのだからよしとしましょうか。