2006年6月
プレーオフ
2006年6月25日
夕方、女子プロゴルフを見ていた。
2日目を終わって、QTで出場資格を得ている藤田が首位であったが、テレビをつけた時は古閑美保が2打差で首位に立っていた。
しかし、17番で古閑がボギーをたたいて、1打差となり、さらに18番では藤田が第3打をドンピシャでピンにつけて、バーディを取って遂に追いついた。
プレーオフ一ホール目は共に2オンしたが、藤田がスライスラインを沈めてバーディ。初優勝となった。
見ていて面白かった。
ところで、藤田幸希と書いて、「さいき」と読むらしい。「ゆき」とか「みゆき」ではない。細身だけれど飛距離は十分だし、年齢はまだ20歳ということで、先々楽しみなプレーヤーが出てきた。北田も久々に上位に顔を出してきたし、大山と李の賞金女王争いなど、女王様が不在でも結構面白い展開になってきた。
伊豆ヶ岳急行
2006年6月24日
先週は正丸駅から長岩峠経由武川岳、焼山、二子山とかなりハードな山行きを敢行したので、今週はおとなしく伊豆ヶ岳か日和田山あたりを考えていた。インターネットで、色々な人の山行きのページを読むと、正丸駅から10分程度の中丸屋の手打ちうどんがうまいと書いてある。
それなら、高麗駅のいわゆる駅そばよりは、こっちだなということで、今週は正丸駅を起点に伊豆ヶ岳往復を歩いてみることにした。荷物も普段よりもずっと減らして、雨具、水500ml、デジカメ程度とする。したがって、ザックも街歩き用のデイバッグを持つ。入れるところがないので、ストック2本は手に持つ。
久々に8時53分ひばりヶ丘発の2ドア、8両編成に乗車する。ひばりヶ丘では先頭車両だが、飯能から先は最後尾となる。しかし、正丸駅で降りるのであれば、これが改札口に近くて具合がいい。
さて、正丸駅ではずい分沢山の人が下車した。トイレを借用して、正丸駅を10時少し前に出発する。ステップが進行方向に対して、斜めになっている不思議な階段を先週に続いて下りてゆく。
馬頭観音まで20分弱、長岩峠近くの伊豆ヶ岳分岐まで約55分。五輪山は休まず、素通りして、伊豆ヶ岳まで実に1時間15分で到達した。
山頂からの景色は、曇っているし、木が生い茂っていたりで、先週登った武川岳が見える程度。したがって、今週も写真はなしである。実は、長岩峠の下で、大きな岩を撮影したつもりだったが、帰宅後よくよく眺めてみると、人様に見せるような写真ではなかったので、消去。
頂上から少し降りたところで、一休み。頂上では、肘をついて横になって、コンビニか何かの巻き寿司を食っているやつがいたが、邪魔だ!どけ!と叫びたくなる。飯はきちんと座って、食え!!
11時20分下山開始。うどん、うどんと中丸屋を目指して、下りを飛ばしてゆく。馬頭観音が11時55分ぐらい。往復の無事を感謝して、中丸屋を目指す。
12時5分頃、中丸屋に到着した。早速、おば(あ)さんに「山菜うどん」と発注する。
しかし、そのあとの言葉に倒れそうになる。なんでも、ヨモギ餅の評判がよくなって、手打ちうどんまで、手が回らなくなって、手うちうどんはやめたとか。
ショックだったよ。全く。店内にはうどんのメニューが表示がされているのに。
仕方がないので、よもぎ餅2個入りパックを買って、缶ビール(350mlを2缶)をいただく。きゃらぶき、きゅうりの漬物、ラッキョウを出してもらう。前のお客さんに出した残りだという饅頭の半分も頂戴する。ヨモギ餅を1個食べて正丸駅に向かう。
正丸駅前には、うどんとかそばが食べられる店があったけど、中丸屋の方がのんびりできていいな。
というわけで、今週の山歩きが終了。
サモア
2006年6月23日
テレビを見ていて、いつものようにチャンネルをあちこちかえていたら(家族には不評だが、娘も息子も家を出たので、文句をいうのはもう家内しかいない)、ラグビーでサモア対日本の試合をしていた。結果的には、サモアが日本を53-9という一方的なスコアで下した。インターネットで検索してみると、6月17日に行われた試合が放送されていたようである。かの宿沢広朗さんが亡くなられたのが、6月17日午後0時53分ということである。赤城山に登っておられたので、この試合の結果はおそらくご存知なかったと思われる。
完敗である。この結果を聞いての憤死ではなく、報道のように心筋梗塞であったのが、まだしも救いであるが。
さて、サモアという国は、人口わずか18万人という国である。外務省のホームページがそう書いているので、間違いはないと思う。18万人というと、昔俺が住んでいた茨城の水戸市の人口(当時約20万人)よりも少ない。今、住んでいる東京都練馬区は人口実に約69万人である。
この試合は、パシフィックファイブネーションズという大会であり、参加国は、ニュージーランド(ただし、ジュニアオールブラックス)、フィジー、トンガ、サモアそして日本である。
我が日本は既に、サモア(先ほど書いたとおり、9-53)とトンガ(16-57)に敗れている。サモアの人口は先に書いたとおりであるが、トンガはサモアよりもさらに少なく人口わずか10万人(!)余りの国である。
日本の残る対戦国は、ニュージーランドとフィジーであるが、フィジーがトンガと接戦しているし、またジュニアオールブラックスに善戦していたりと、前途極めて多難である。
ニュージーランドは人口420万人と北海道よりも少ない国であるし、さらにパシフィックファイブネーションズに出ているのは、ジュニアチームである(!!)。
世界とのレベルの違いを再認識させる結果である。
ラグビー人口よりも、サッカー人口の方が、多いのであろうが身体能力に起因する弱さは、人口が600分の一の国に敗れるラグビーでよく示されていると思われる。何でもかんでも、人口のせいにする気はない。人口がすべてだと、中国があらゆるスポーツで最強になってしまう。
さて、サッカーに話をふれば、ブラジルよりも、日本が先にへばっていては勝機はない。相手が、ばててのびているうちに点を入れなければならない。
かの宿沢さんがラグビーの日本代表の監督時代、暑い日本における試合であったが、スコットランドに勝った(本当に勝ったんだぞ!)ことがある。その昔、仕事で一緒になったイギリス人(マンチェスターあたりの出身。日本人の耳には、ラグビーが「るぐびー」と聞こえた)は、「暑さが日本に有利になった」という俺の言葉に対して、「条件は一緒である。それはいいわけにはならない(!)。」といっていた。
いかなる気候であろうが、それに耐え抜く体力・気力を日本人プレーヤーにつけさせる方策が望まれる。
日本のマラソンランナーは、サッカーができない。サッカーのプレーヤはマラソンを走れない。このあたりが、日本サッカーの弱点であろうか。4年後までに、軌道修正は可能なんだろうか。
武川岳~二子山
2006年6月18日
ひばりが丘駅7時54分発の快速急行西武秩父行きに乗車して、正丸駅を目指す。普段どおり、先頭車両に乗り込むが、何とか座れる。このまま、約1時間乗っていると、正丸駅に着く。
家にメモを書き残してくるのを忘れた。書こうとした内容は、「正丸駅→馬頭観音→長岩峠→名栗げんきプラザ→武川岳→焼山→二子山→芦ヶ久保駅」である。携帯電話は、山の中で電池切れ。お前遭難したらどうするんだ。といっても、携帯電話はFomaだけど、高麗駅から奥では圏外となって役に立たない。
駅のトイレを借用して、9時に出発。途中にある茶店の中丸屋のおば(あ)さんは開店準備中であった。今日の帰りはここは通らないけれど、一応「おはようございます」と挨拶してゆく。
馬頭観音までは約20分で到着する。といっても、馬の頭を持った仏像があるわけではなく、石碑があるだけ。道中の無事を拝んで通過。
まもなく、前回の山行き(ブログ「リベンジ」参照)で案内してもらって降りてきた長岩峠への道を登ってゆく。ストックを2本使って階段を登ってゆくが、なかなか伊豆ヶ岳への分岐に着かない。登ってゆく途中に横に広がる大きな岩があったので、これが地名の由来だろうと思った。岩の中腹には、熊がすみついてもよさそうな穴も見える。
名栗げんきプラザまでは、地図に書かれたコースタイムよりも+5分かかる。林道を登っていって、いよいよ山道に入ってゆくところが、看板は出ているもののわかりづらかった。少しよじ登らないと、山道に入れない。だから、昭文社の地図には「迷」マークがついているのだろうか。
地図のコースタイムだと、武川岳まで正丸駅から、2時間30分ということになるが、2時間50分かかってようやく到着する。霧が出ていて何も見えず。最近、頂上からの景色めぐまれないな。頂上のプレートを写真に収める。
さて昼飯の支度をしようとしていたら、妻坂峠の方向から4名の団体さんがどかどかとやっている。挨拶もなしに、人の目の前にシャツを乾したり、飯の支度を始めたりする。うるさいのはいやなので妻坂峠の方向に避難する。団体はいやなのだ。
昼食は、インスタントラーメン1.5個(前回の2個は多すぎた)+牛肉大和煮缶詰+ココアである。12時40分に二子山を目指して歩き始める。途中、2組のパーティから、武川岳までの時間を聞かれる。1組目は、下山開始後15分後、もう一組は25分後であった。確かにアップダウンが半端でないので、行けども行けども目的地につかないような気がする。
地図には1時間25分とあるけれど、1時間後に焼山に到着する。登りは遅いけど、下りは早いということなのか。
焼山の頂上からは、いきなり断崖を降りる。地形図で見ると、そんな感じのところではないように思えるけれど。途中、双子山が時々姿を見せる。「来る者を拒むように立ちふさがっている」ようではないが、かといって「歓迎光臨」という雰囲気ではない。双子山雌岳へは急坂をよじ登ってゆく。岩登りまである。なんとか、頂上までよじ登る。
双子山雌岳頂上付近の少し見晴らしの利く場所は、団体さんが占拠していたので、そのまま休まず雄岳めざしてゆく。雄岳は林の中で何も見えず。ここから芦ヶ久保駅目指して降りてゆくが、この道がなんというか急坂で滑るし、往生した。2度ほど滑ったが、なんとか泥まみれにならないように踏みとどまる。
沢伝いの道に出て、駅が近づくと沢から外れて山道を降りてゆく。線路の下をくぐると、芦ヶ久保のみちの駅に出る。雄岳から1時間15分。
駅前の売店で、アクエリアスと缶ビール350mlを計400円で購入する。そのあと、家までの切符を買うと、1000円札がほとんど消える。
電車の中では、アクエリアスをほぼ一気飲み。続いて、缶ビールをいただく。
芦ヶ久保駅から今日降りてきたルートを登ると、地図にあるように2時間は十分かかるな。
非常に蒸し暑い日であった。かみさんのフランス語の先生(金子京子先生)がくも膜下出血で倒れたり(6月18日に亡くなられた)、早稲田ラグビーOBの宿沢広朗さんが心筋梗塞で亡くなるなど、こういう気候不順の日は倒れる人が多いのかもしれない。
ワイヤレス転送
2006年6月18日
NikonのデジカメシリーズにCoolpixP2という製品がある。CoolpixP1と同時期に販売され、P1の方が画素数が多い。このP1とP2の売りは、パソコンとワイヤレスで通信ができて、画像データを無線LANを介して転送できることである。
このワイヤレス転送にようやく成功した。デジカメを購入した直後に渡来していたが不発で、今回無線環境を新しくした機会に再度挑戦した。
当初はうまくいかずいろいろ試みてみたがやはり、Windowsのファイアウォールが邪魔していたようだ。
いくらファイアウォールに疑いをかけたからといって、WindowsのファイアウォールをOFFにするような野蛮なことはしない。ウィルスをブロックするソフトをインストールして、LAN内のコンピュータからの接続を許可するようにしたら、これまで撮影した画像が転送された(とはいってもWindowsのファイアウォール機能はOFFになっていた)。ファイアウォールを機能させると、接続できない。
つまりファイアウォールをOFFしたときだけ、転送ができる。これでは困るので、取扱説明書をよくよく眺めてみる。そうすると、ポート番号という見出しが見つかった。記載の内容は、「無線通信では、UDPポート番号・・・、TCPポート番号・・・を使用している。ファイアウォールの設定をしているパソコンでは、設定変更が必要な場合がある」であった。
次に、コントロールパネルで、Windowsのファイアウォールを立ち上げてみると、例外タブの中にポートの追加という項目がある。TCPを選んで、ポート番号を設定する。ようやく、転送がまともにできた。
この問題がFAQに記載されているかどうかは不明である。ファイアウォールは、XPだと基本的には設定されているのに、取扱説明書では明確でない。こういうことは、十分予想されるのだから、マニュアルにきちんと記載してほしいと思う。
いずれにせよこれで、P2側面のの華奢(きゃしゃ)な小型USB端子が破壊される心配をしなくてよくなった。やれやれ。
(*)この記事をブログに最初登録しようとしたが、ブログの画面に行かない。Gooのネットワークが動作不安定で、サービスによっては接続できない状況にあるとのことだったので、翌朝になって投稿。昼過ぎて、色々と追加。
昨日の今日
2006年6月16日
NikonのCoolpixP2からパソコンにデータを無線で飛ばすことに昨夜、チャレンジしたが不発に終わった。データを転送しようとするコンピュータに接続できない。
原因をいろいろ考えているが、Windowsのファイアウォールが邪魔しているかもしれない。そこらあたりを今夜、いじってみるとするか。
ところで、昨日NikonのCoolpixP2用のバッテリをインターネットで検索していたら、純正ではないけれど、互換をうたったバッテリを見つけた。純正は定価5,000円と称しているが、1,480円であった。しかし、送料が950円と高いので、他を探してみることにした。
次に見つけた会社は、バッテリの価格は同じだが、送料が350円、代金引換の手数料が300円であった。代金引換ということなので、会社で受け取ることにする。夕方になって、今日送り出したというメールが届く。そして、今朝佐川急便で到着した。手元にデジカメがないが、形状は同じようだ(互換をうたっているのだから、当たり前?)。昨日の今日という早さに少し感激。何事もこのくらいのクイックレスポンスで対応して欲しいものだ。
アルペングループのポイントカード(Jaccsのクレジットカードとセット)を作ろうとしたら、1ヵ月以上たって、引き落としの口座番号を書いて送れという書類が届き、頭に来てシュレッダにかけたことがあったよな。今朝、朝刊にGolf5の広告が入っていたけれど、もう二度と行かんから。個人情報をたくさん書いているのだぞ。まともに対応しろ。また、むかついてきた。
点が入れば、サッカーも・・・
2006年6月15日
日曜日からずっとパソコンと格闘している。日曜日の午後、ヤマダ電機に出かけて、プリントサーバと無線アクセスポイントをほぼ衝動買いする。
家に帰ってきて、早速プリントサーバを立ちあげたが、双方向通信をサポートしていないことがわかる。このため、ルータの側にあるパソコンは従来どおり、USB接続で印刷することにした。しかし、その後元の設定に戻したつもりが戻っていなくて、「印刷できない」とのクレームがあがる。これを処理して、いよいよ無線アクセスポイントの立ち上げかと思われた。
しかし、無線LANで接続しようとするパソコン(Vaio)には、問題があって、OSを書き換えることにした。最初に問題が生じたのは、update中にパワーセーブ機能が働いて、パソコンの電源がOFFになってしまったことがあった。
その後、立ちあげようとしても、さっぱりダメで、結局別のWindowsXPをインストールして、それまでのファイルはみんなパーにして使っていた。次の問題は、娘が使っている時に変にしてしまった現象だ。ディスクをチェックしろというメッセージが出て、チェックしていると無限ループに入ってしまって、ディスクチェックが完了しない。仕方がないので、無限ループに入る前に、キーを押してディスクチェックをキャンセルし続けていた。
無限ループの問題を解決するためには、OSを再インストールするしかないと、娘の旦那が言っていたそうだ。それが記憶にあったので、WindowsXPを再インストールすることをはじめた。
それが、日曜日の夜である。しかし、うまくいかずVaioのリカバリーディスク3枚組みをインストールすることにした。インストールは完了したが、Windowsをupdateして、SP2をダウンロードしようとすると、お前は正規ユーザか確認できないとかいってくる。
そこで、手持ちのWindowsXPを再度インストールする。今度は、インストールできたが、システムが立ち上がる時に、ハードディスクのヘッドがカチカチ・・・と音を出し続けた後にようやく立ち上がる。この間の作業は、オランダ対セルビアモンテネグロ戦を見ながら行い、寝たのは1時ごろである。
異音がするけれど、それでもいたし方ないかと無線アクセスポイントを立ちあげる。
しかし、火曜日になってどうも気になって、もう一度やり直すことにした。それで、Vaioのリカバリーディスク3枚組みを再びインストールする(アプリケーションのリカバリーは結局水曜日の夜になってから)。
水曜日の夜にWindowsUpdateを延々と行う。途中、「正規ユーザらしいけど、しっかりと確認できない」という画面になる。パソコンをひっくり返して、ラベルの色を入力したりして、正規ユーザと確認してもらうようにした。いよいよ確認してもらえるかという画面から次に飛ぶと、接続できないという画面になる。参った。
SP1のままでもいいかと思い、再起動とWindowsUpdateを繰り返しているうちに、SP2をダウンロードして、インストールするところまで行く。そのまま、実行していつしかSP2となる。どうなっているの?
いずれにせよ、平成13年の秋に17万円を投じて購入した状態になった(ただし、WindowsXPはSP2)。17万円と書いたが、メモリを増設したり、大容量のバッテリを買ったりで、20万円ぐらい投資している。
ここまで来ればあとは、一瀉千里である。スペイン対ウクライナの試合を見ながら、無線アクセスポイント(CoregaのCG-WLAPGMN)を設定し、無線LANカード(アクセスポイントとセット。CG-WLCB54GS)もインストールする。
以前使用していた11M と比較すると、やはり圧倒的に速い。懸案であったセキュリティもWEP64bitで設定する。
引き続いて、プリントサーバ(LogitecのLAN-PS/U2)の設定とか、プリンタのドライバのインストールを行う。これらの作業が終了したのが、12時前。
しかし、スペインはおもしろいように点を入れた。応援する人はさぞ楽しかったろうな。
続く課題は、デジカメ(NikonのCoolpixP2)のワイヤレス転送モードを立ちあげることだ。
お疲れさん。
港
2006年6月14日
神戸生まれの神戸育ちである。22年余りを神戸で過ごし、その後箱根の関所を越えて関東地方に進出して、33年たった。神戸にいる時は、船も港も身近であった。
仕事で横浜に出かけたが、行き先が港の近くであった。時間があったのと久々に港を見たくなったので、山下公園をぶらぶらする。ふとみると、船が遠くに繋留されている。ひょっとして、氷川丸かと思ったが、視力が落ちていて船名が読み取れない。仕方がないので、船の方向に歩く。結局のところ、船の船尾まで歩いた。船尾に書いてあるのはやはり「氷川丸」であった。
名前は忘れたが、最近就航した15万トンという巨大な豪華客船と比較すると、海面からあまり高くなく、貨物船とさほど変わらない気がする。
仕事を終えて、その後の飲み会を途中でぬけだしたが、横浜の夜景を撮ろうと思い再び港に行く。大桟橋で待っていたが、なかなか暗くならない。そのうちに、トイレに行きたくなってそこそこで切り上げる。何事も、とことんまでいかずに、そこそこで切り上げる自分らしい。
照明にスイッチが入った氷川丸はきれい。
巣立ち
2006年6月14日
父親の想定よりも2年遅れて(一浪一留)息子が始めての勤務先の仙台に旅たった。お姉ちゃんから5年遅れ、父親が就職してからは33年後である。これで、いよいよ老々同居となる。
荷物は出発の前日に送り出したが、連日飲み会やらなんやらで、荷出しの間際まで、支度が遅くてやきもきさせる。直前ドタバタ型の父親には似なくていいのに。
ようやく息子を駅まで送った後は、(ゴルフ)練習場へ。最近は100球打ったらもういいわという感じになってきているので、100球打って約1時間で終了。しかし、気温が上がっているせいか、朝時々行っているスクワットなどのトレーニングのせいか、今朝はボールがよく飛んだ。
昼からは、車を1ヶ月点検に出して、その後は石神井公園にアジサイの写真を撮りに出かける。しかしながら、アジサイはあんまりなかった。それでも、何本かは見つけて写真を写した。
今日は、娘がだんなを連れて来る予定なので、4人で夕食となる予定。いきなり二人でなくてよかった。明日の夜からは、一人または二人となるのだ。時の流れか。
今季最高
2006年6月5日
土曜日にノーザンカントリー錦ケ原ゴルフ場でプレーした。このコースには、菜の花コース、さくら草コース、れんげ草コース(7ホールだけらしい)があるそうだ。プレーしたことがあるのは、このうちの菜の花コースのみ。
このコースには大昔にも来たことがあるし、同じグループのノーザンカントリー赤城ゴルフ場にも行ったことがある。それが、いつしか(株)アコーディア・ゴルフというもっと大きなグループに組み込まれているらしい。
以前、このゴルフ場のまさしくこの菜の花コースで、会社のコンペがあった時、アウトスタートの組はそうでもなかったが、インスタートの組は、昼休みが2時間半ぐらいあったとか。
とにかくこのコースは、知らないと戸惑うことが多い。どうして長い昼休みになったのかを含め説明してゆく。
さて、菜の花コースでプレーする人は、自分のキャディーバッグを抱えて、菜の花コース行きのマイクロバスの後部に行く。バッグを積んでもらって着席。
バスは、荒川の下流に向けて走って行く。そんなに走ったら、朝霞パブリックまで行ってしまうのではと思ったが、今日地図でみるとそこまでは行っていないようだ。
到着したところが、インスタートのスタート地点のはずだが、実は12番ホールのティーグランド付近である。1番からスタートする人は、そこから船に乗って、対岸に渡る。対岸には、1番から11番までの11ホールがある。
途中に昼食をはさむ場合は、インスタートの場合、7ホールを終えて昼食となり、アウトスタートの場合は、11ホールを終えて昼食と言うことになる。
7ホール回って、そのあと2時間半も昼休みだとだれてしまうわな。しかし、本日はスループレーということで、長~い昼休みの心配はしなくてもよさそうである。
さて、スコアのほうであるが、荒川右岸(右岸、左岸は川の上流側から見て、右、左をいう)でプレーした前半7ホールは、2バーディ、2ボギーでパープレーというプロ並みのスコアを出す。特に、17番、18番は連続バーディである。17番は、第3打目のアプローチがカップの側で止まってOK バーディ。18番は2打目をスプーンで打って、ほぼ2オンというところまで行った。第3打目をPWで転がしたが、カップから2m程度による。このパットを沈めて、バーディ。このところ、バーディが出ると前々回もそうだが、続けて出る。
7ホールを終えて、対岸(荒川左岸)に渡る。コンペの第一組が待っていたが、さほど待たずに後半スタート。後半は、ボギーを連発して、11ホールでパーが4つ。しかし、10番、11番がパーなので、インはパープレーということになる!アウトは、パー35に対して6ボギー、1ダブルボギーの43である。グリーンの雰囲気は、右岸のほうが左岸よりもやや重い感じがした。
とにかく、スコアは80と今季最高を記録した一日であった。これで、今シーズンの平均が90を下回った。