2006年2月

東横イン騒動

2006年2月26日

 東横インの騒動もホリエモン、永田君の暴走、民主党の混迷、静香ちゃんの金メダルで、ヒューザーもろとも吹き飛んだ感があったが、昨日挨拶文が届いたので、思い出してしまった。
 かくいう私は、東横インの4&5クラブという会員であった。カード(写真入)を作っていた。出張が多かったが、各店の調度品が同じなので落ち着く、インターネットが使える、おにぎりと味噌汁の朝飯がただで食えるといった理由で愛用していた。ただ、「内観」とかいう本がおいてあるのは、少し臭い気がしていた。会員ではあったが、今回の騒動で嫌気が差したし(関西弁でいうと「けったくそわるい」)、クレジットカードの会費も惜しいので、退会した。
 そうしたら、挨拶文が来たよ。社長、社長と日ごろちやほやされていると、いざという時に、「俺は寝てない」とか「そんな部屋作ってももうからない」とか叩かれるようなことを口にする。
 挨拶文はスキャナで読み込んで、読み取りソフト(読取革命Lite)で変換し、テキスト形式で保存したので、本来右寄せになる言葉が左に来たりしているが、まあ読んでくれや。俺のコメントも入っている。

(以下、挨拶文)
4&5会員各位様
平成18年2月下浣
==>「下浣」って何だ。「かかん」と読んで、下旬を意味するらしい。50余年生きてきて始めて見る言葉だ。昔、家内の父の挨拶文をワープロで打った時、「砌(みぎり-時節、折の意)」を読めなかった時以来だ。

株式会社東横イン
代表取締役西田憲正
 拝啓 余寒なお厳しき折、4&5クラブ会員の皆様方におかれましては、ますますご清栄のこととお慶び申しあげます。
 さて、この度、ホテル東横インの建物の増改築、駐車場、付帯設備などについて、各地で数多くの違反が指摘されております。法令の精神を尊重せず、かかる事態を招いたことを深くお詫び申しあげます。
 特に、日頃ご贔屓いただいておりました会員様におかれましては、弊社が会員様から頂戴していた信用を損ねたこと、また会員様の信用を失墜させましたことなど、よりいっそうのご不快の念を抱かせましたことと存じ、心よりお詫び申しあげます。
 また、本件にかかわる記者会見の場で、極めて不適切な発言や態度を行ったこと、未熟・粗雑な点がありましたことも、深く反省しております。私の不徳に対し、多くの方々からご叱責をいただきました。4&5クラブ会員の皆さまはもとより、高齢者の方、お体の不自由な方、その他多くの方々がお気持ちを害されたこ
とと存じます。皆様にご迷惑をおかけしたことについて、深くお詫び申しあげます。
 ただいまは、行政当局の綿密なご指導を受けながら是正措置をとり、すべて適法な状態に戻すべく最大限の努力を傾けております。
 私どもは、このたびのご叱責を深く心に刻み、今後は、法令遵守の徹底を図ることはもとより。高齢者の方や、お体の不自由な方に円滑にご利用いただける、そして私どものホテルにお越しくださるすべてのお客様に対し、あたたかく、やさしいビジネスホテル作りのために、たゆまぬ努力を重ねてまいります。==>「もとより。」の読点はおかしいのでは?
 4&5クラブ会員の皆さまにおかれましては、あたたかく、使いやすいホテル作りに向けて、皆さまの視点から忌憚のないご指導のほどをお願い申しあげます。
 この度は誠に申し訳ございませんでした。心よりお詫び申しあげます。
敬具

ということだそうだ。東横インに泊まると、従業員は女性ばかりで、人件費をケチっている感じがした。それで、西田君は豪邸を建てたのかな。

大高山・天覚山

2006年2月26日

 いつもの電車で吾野駅に着き、トイレを済ませて9時50分頃出発する。駅前で高度計の標高を190mあたりにあわせる。
 WEBで山登りの記録を読んでみると線路の向こう側にわたる地下道がわからなかったという記述がよくある。以前、伊豆ケ岳の帰路にこの地下道を通っているので、通っていけるという自負があった。しかしいざ歩いてみると、見過ごさないよう線路沿いを歩いたことがかえって災いし、地下道の上を通って秩父寄りの踏切に到達してしまう。こうなると踏切を渡って来た方向に戻るしかない。戻ってゆくと地下道の入口が見える。
 登山口は墓地の管理事務所のような建物(といってもプレハブ小屋)のすぐ裏である。ここから登りがはじまる。だから、踏切まで往復しても足ならしだと思えばよいし、天井の低い照明もないトンネルだから歩いていても気持ちが悪い。外から行くほうがよろしい。
 そうこうしているうちに前坂分岐に到達する。本(「秋父奥武蔵をあるく」、JTBパブリッシング)によると子ノ山に寄道できるようだが、どれが子ノ山かよくわからなかった。
 前坂分岐に戻って大高山を目指す。山頂手前で休憩していると、ダブルストックのおば様に軽くぬかされる。さて、山頂の手前で岩を2つよじ登る。山頂では本と同じように山名と標高を書いたプレー卜の写真を写す。高度計の指示は490mで地図上の標高494mとぴったりであった。
 地図によると大高山と天覚山の途中で、南北方向の道路と交差するはずだがよくわからなかった。
 天覚山山頂には12時15分に到着する。ここで昼食を摂ったが、2時間以上かけて登って来た山の上で、「石焼芋~~!(メロディーは各自)」を聞くとは思わなかった。歩いたコースが国道299号や西武線と並行しているので、道中車の音はずっと聞いていたが、焼芋まで聞くとは。もっとも、焼芋屋は国道ではなく南側の道路からだと思うが。大高山からは殆んど何も見えなかったが、この天覚山からは幾重にも重なった山脈が南西方向見える。薄くもやがかかっているが、晴れたらきれいだろうと思うとともに、日本は山国だとつくづく思う。高度計の指示は480mで30m位の誤差を示す。このあと飯能グリーン近くの送電鉄塔のところでも30m程度の誤差があった。しかし、武蔵横手駅では120m位であっていたから、お昼頃に気圧が少し下ったのだろうか。
 12時40分に天覚山から東峠・久須美峠・武蔵横手駅を目指して出発する。出発するとすぐに急な下りがはじまる。これを含めて、今曰は登ったり降りたりの繰り返しであった。
 木が切られたところでは、東吾野駅近くにある飯能市立病院や高指山の無線中継所も見える。左手の赤い屋根は高山不動か?
 歩いているうちにコースを間違えて東峠では、腐りかけた木のはしごを使って車道に降りる。よく壊れなかったものだ。家に帰ってから、「ぞっ」とする。ちなみに、東峠の標識は天覚山と天覧山になっている。宅地造成で天覧山には行けないと思うけど、古い標識なんだろうか(車道を歩けば行けるというような理屈は言わないこと)。
 飯能グリーンのコースが見えてからが結構長かった。金網を越えてコースの見える曰だまりで休憩したが、「フォア~!」だの「入れ!」だのうるさいこと。次回のゴルフは静かにプレーしようと自戒する。
 久須美峠に着くあたりではすっかり膝に来ていたので、このあとの林道が緩い傾斜で武蔵横手駅まで続いていたのは本当に助かった。駅に着いて10分足らずで、飯能行きが到着した。トイレ、ストック洗い、飲み物購入、切符購入でちょうどいい時間。この日は、5時間弱の歩きであったが、アップダウンの連続で、これを書いている次の日はすっかり筋肉痛である。
 総括すると、眺めはもうひとつだが、トレーニングにいいコースである。

鈍行紀行

2006年2月21日

 2004年頃のノートを整理していたら、メモが出てきたので、記事にしてみた。

 朝寝、朝風呂(朝酒はなし)。
 8時15分頃、軽井沢東急ハーベスト発。ぶらぶら歩いて、軽井沢駅前の横川行きバス停へ。
 曇り空だったが、歩き始めた途端、小雨が降り出す。このような天気なので、浅間山は見えず。
 軽井沢~横川はJR関東バスで片道500円、往復900円とか。定時に発車して、碓氷バイパスを下ってゆく。横川駅の手前に、電気機関車などが展示されている。心が動いたが、今回は見送り。
 横川駅のホームには、EF63重連+189系が留置されているが、さながら幽霊列車という感じである。寂しいね。解体してやってください。
 信越本線(!)横川駅発9:54の138Mは坂をぐんぐん下ってゆく。
 横川→西松井田→松井田→磯部→安中(そういえば、この駅にはゴルフに来たことがある)→群馬八幡→北高崎→高崎。高崎駅に近づくに従い、乗客が増えてゆく。
 高崎駅では、八高線のホームがわからなかった。階段を下りると、2番線と4番線しかない。再度、階段を登って確認すると、下りた場所に間違いはない。2番線のかなたに3番線ホームがあった。
 2両連結の気動車は、高麗川行き。
 高崎→倉賀野→北藤岡→群馬藤岡→丹荘→児玉→松久→用土→寄居。
 寄居まで来て、秩父鉄道に乗って、西武秩父経由大泉学園ルートに心が動いたが、東武鉄道に乗車。
 寄居駅発11:26、小川町で急行に乗り換え。11:40発。急行とはいえ、川越までは各駅停車。
 寄居→玉淀→鉢形→男衾→東武竹沢→小川町→武蔵嵐山→つきのわ→森林公園→東松山→高坂→北坂戸→坂戸→若葉→鶴ヶ島→霞ヶ関→川越市→川越→ふじみ野→志木→和光市
 和光市駅まで乗車して、樹林公園経由歩いて帰宅。
 軽井沢からの鈍行旅行が終了。ゴルフは大事をとって、しなかったがいい旅行でした。

高度計

2006年2月21日

 2月18日(土)に町に出て、高度計(気圧計)を購入した。
 東京磁石工業(株)の携帯用高度計No.610というタイプ。ただし、ブランドはSpaldingである。ちなみに、東京磁石工業でWebを検索すると、公正取引委員会の排除勧告がみつかる。内容は、「台湾製であるにもかかわらず、made in Japanと表示されており、消費者の誤解を招くから、やめなさい」ということらしい。
 しかし、高度計には、made in Japanと書かれている。
 それはさておき、早速どの程度の確からしさがあるのか、いろいろ試してみた。自宅付近の高度は40mなので、外側を回して指針と40mをあわせる。それから、ゴルフ場に持って出かけた(ブログ「第二戦」参照)。ゴルフ場の標高は、国土地理院のサイトで調べると、倶楽部ハウスあたりが240mであった。ゴルフ場に到着した時、指針はほぼ240mあたりを指していたので、よくあっているなと感じた。
 しかし、帰宅後に見てみると、40mにあわせたはずが、80mあたりを指している。よくよく考えると、これは気圧の変動によるものらしい。
 翌日、家で再び40mにあわせて、会社に持ってゆく。地図で見ると、勤務先の標高は7mぐらいである。気圧計の指示は0mと20mの間で、0m寄りだったから、あっているようだ。ところが、この日は昼前から、雨になった。高度はどんどん上がって、60m近くなった。要するに、天気の影響で、気圧が急変すると、誤差が大きくなるということらしい。まだ、標高240mまでしか行っていないので、もう少し標高のあるところで確かめてみたいと思っている。

第2戦

2006年2月21日

 2月19日(日)所属倶楽部の株主総会もあるので、ラウンドした。東コース44、西コース41。都合28パットという成績であった。28パットといいつつ、パターで寄せたホールもあるから、32パットぐらいの感じである。
 初打ちのブログのように各ホールのショット、パットを記録する元気はないけれど、一ついえることは、パットの距離感があわなかったのが、西コース8番であった。第3打をAWで打って、グリーン奥。カラーが気になって強めに入った。セカンドパットも強い感覚のまま打って1m以上オーバした。パー狙いがダボとなる。
 グリーンが本当に速かったのか、当方の意気込みすぎか。おそらく、後者だろう。当日は前者と思っていたけれど。
 前回の分を打ち消すために、スコアカードを提出した。
 次回は3月12日の予定。

初打ち

2006年2月16日

 12月30日以来となるゴルフの初打ちに出かけた。紳士のスポーツをいうブログの割には、これまで山のことばかりであったが、ようやくゴルフが登場。
 本日のプレーを要約すれば、最初の7ホールまでは、5オーバと健闘したが、8番でOBを出して、午前中は9オーバで終了する。午後からは、(ビールも飲まずで)もう少し何とかなるかと思われたが、パーもとれずに16オーバで終了した。以下はその詳細。パットのラインも意識して覚えようとしたが、以前よりはよく覚えているようだ。

西コース
1H:無欲が幸いして、ティーショットでフェアウェイをキープ。寒くて飛距離が出ないので、PWにかえて9I で第2打を放つが、左にわずかにそれる。PWで転がして、1パット圏内。上りのスライスラインだが、ホールを覗いて行き過ぎ。2パットのボギー発進。
2H:ティーショットがフックして、やまかげへ。AWでフェアウェイに戻す。第3打でグリーンを狙ったが、わずかに手前。PWで転がして、1パット圏内(上りのフックライン)だったが外して、ダボ。
3H:7Iでショット。グリーンに1オン。軽い上りのスライスライン。傾斜のスライスを十分読んでいなかったので、1.2mぐらい下に外れる。返しの軽いフックラインを入れてパー。
4H:ティーショットは2番同様にフックして、左ラフへ。ディボット跡に入っていたが、9W(だったと思う)でフェアウェイへ。かなりののぼりと見て、7Wでパーオンさせる。10歩ぐらいあるフックラインを50cmぐらいに寄せて、お先にパー。
5H:3Wでティーショットしたが、ダフってドッグレッグの曲がり口まで届かず。AWで曲がりの先へ。PWで第3打を放ってボギーオン。軽い上りの真っ直ぐ目を寄せて、ボギー。
6H:3Wのティーショットはプッシュ気味で左の林手前。8Iでねらっていったが、あたりがよくなくてバンカー手前へ。AWでバンカー越しに浮かせた球を打ってボギーオン。上りのフックラインを沈めてパー。
7H:距離があると思ったので、6Iで打ったが少々大きかった。グリーンの右奥に何とか止まる。下りのフックライン。1m以上行き過ぎ。返しは、軽いスライスラインのはずだが、カップの右を通り過ぎて、3パットのボギー。
8H:パートナーに恵まれず。当方がスタンスを取っているのに、素振りの轟音が聞こえる。セットを外して構えなおしたが、大きくスライスしてOB。第2打はフェアウェイ右サイド。3Wで強引に狙ったがサブグリーン。AWの寄せは、グリーン奥へのカラーを越えてラフ。5歩半のほぼ真っ直ぐなライン。カップの右30cmに止まってトリプルボギー。
9H:ティーショットは若干スライスして右ラフ。7Wで第2打。右に出て、グリーン手前のバンカーへ。何とか出してボギーオン。フックラインのはずだが、記憶になし。
というわけで、パー35のところを44でまわった。

南コース
1H:フェアウェイセンタへ。5I の第2打はダフってはるか手前。AWで第3打を打ったが、載らず。転がしのアプローチはトップ気味でカップをオーバ。下りのスライスライン。2パットでダボ。
2H:9Iのティーショットは急降下して、右手前のバンカーへ。第2打はトップして、グリーン奥のラフへ。PWで転がしてカップ下1mへ。ほぼまっすぐか軽いスライスラインを入れてボギーに収める。
3H:ティーショットを引っ掛けたが、木に当たってフェアウェイ左サイドに出る。第2打は5Wで打ったが、フェアウェイセンタへ。PWの第3打は右に出て、右ラフ。AWはグリーン手前で食われる。登りのほぼ真っ直ぐなラインだったと思うが、ショートして、ダボ。
4H:9Wでグリーンを狙うがショート。斜面で戻るかと思われたが、ラフだったので、傾斜で止まる。AWでの寄せはまた例のオヤジが見えてショート。しかし、上りを寄せてボギー。ラインとしてはスライスラインで、10歩ぐらいであったが、真っ直ぐ転がった。
5H:問題のホール。最近成功率が低い。ティーショットはテンプラとなって、6番左のバンカーへ。ところが、暫定球を打たされ、2打目もテンプラ。3打目でようやくフェアウェイと散々。バンカーから8Iで元のホールに戻す。左足下がりの第3打は、ダフってはるか手前。アプローチはグリーンの手前。転がしたが、グリーン手前。
6H:3Wのティーショットは、真っ直ぐ打ちたいから3Wを持っているにもかかわらず、プッシュアウトして、7番のラフへ。8Iで戻して、次の5Wはナイスショット。その次の7Wもいい当たりだったが、わずかに手前。AWで寄せてボギー。ラインは記憶にないが、傾斜の下からであった。
7H:ティーショットは山すそ方向へ。暫定球はフェアウェイセンタ。3Wで欲張ったが、スライスして右ラフへ。松の木が邪魔なので、8Iでフェアウェイに戻す。第4打はまたしても3W。いい当たりだったが、ガードバンカーへ。バンカーショットは出すだけ。寄せもショート。長いファーストパットは、10歩ぐらいのフックライン。なんとか2パット。
8H:ティーショットはまずまず。第2打は5Wで打ったが引っ掛け気味の球が、カート道で弾んで、7番ホールのラフへ。AWであげて、PWでボギーオン。ラインは記憶にないが、2パットのボギー。
9H:ティーショットはまたしてもダフってバンカーに転がり込む。バンカーショットは出ず。3打目でようやくグリーンに乗せて、ダボ。ファーストパットはカップの右手前からで、フックライン。どこまで寄ったか記憶にない。
というわけで、後半スコアを落とす。記憶の方も怪しくなっている。時間が経過したせいか、それともスコアがよくないからか。

 スコア96(パー71)、33パット、1OB
 初打ちの記録終わり。

水上温泉行き

2006年2月14日

 水上温泉郷に出かけて来た。JTBが企画する「お買い得JRプラン!奥利根清流温泉郷 水上温泉2日間」10,000円~12,000円の新聞広告をみて、すぐにWebから申し込む。2名1室なので、12,000円であった。
 2月10日は休みをもらって、奥様と上野駅へ出かける。埼京線で大宮に出て、上越新幹線で高崎へ、高崎で乗り換えて水上が時間的には早いのだろうが、上野駅発の特急を利用する。16番線ということで久々に地上ホームへ。隣のホームは、懐かしのひたち号。
 水上5号は、草津5号と併結で新前橋で切り離しとなる。
 関東平野を走っているうちは、雪はほとんどない。水上駅にかなり近づいてから、ようやく雪の量が増えてきた。同じ車両に乗り合わせた何人かの人はこのあと、帰り着くまで同行することになる。
 車窓から見えてきた谷川岳の姿が次第に大きくなってくる。そうこうしているうちに発車後、2時間20分で水上駅着となる。駅前には、宿泊する旅館の奥利根館から迎えのマイクロバスが来ていた。道路と利根川にはさまれた狭い土地に旅館は建っていて、実に6階が玄関、ロビーとなっている。
 温泉は、うなせ温泉というらしいが、透明な温泉であった。都合3回(着いてすぐ、夕食後、翌朝)入ったが、体がよく温まる温泉であった。
 夕食は、こんにゃく田楽、固形燃料で煮る鍋(豚肉1キレ、うどん、白菜、舞茸など)、茶碗蒸し、やまうど、味噌汁(鮭と団子入り)、漬物、ご飯、果物であった。ちなみに、朝食はバイキングだったが、意外と薄味で我々夫婦好みであった。ただし、うどんは味が濃かった。
 利根川の流れが見える部屋で、のんびり過ごした2日であった。足と泊まりで、12,000円はまずまずではないか。

SuperBowl XL

2006年2月9日

 Superbowl XLと書いてみて、前半は意味がよくわかるのだけれど、XLって?と思う。これはローマ数字で40をあらわしているようだ。つまり、Lは50ということで、XがLの左側にあるので、50-10=40となって、今年が第40回ということである。来年は、XLIとなるんだよな。ちなみに、100はCのはずだが、その頃までは到底生きられません。
 今年のSuperbowlではいろいろ記録が出来た。まず、第6シードから勝ち上がってSuperbowlに出たのが初(もちろん、勝ったのも初)。
 ロスリスバーガーはスーパーボウルを制した最年少のQB、パーカーのTDラン距離、シーホークスのK.Herndonのインタセプトリターン距離も記録だそうだ。それから、WRのA.Randle ElからWRのウォードヘのTDパスも初めてらしい。NFLのホームページにSuperbowlのhistoryのページがあって、各種の記録を紹介しているが、今年の記録はまだ載っていない。
 ところで、辞書で"seahawk”をひいてみると、「英和辞書検索で該当する情報はありませんでした」(!)と表示された。そうだよ。そんな鳥はいないのだよ。ずっと、だまされていた。
 9月から始まったシーズンもプロボウルというのを残しているが(見たことないし、あまり見る気力もわかない)、今シーズンもおしまいである。ところで今年は、Gaoraで放送される時間数が減ったような気がするが、気のせいか。
 しかし、録画したのを月曜日の夜見て、火曜日も飛ばしながら見て、水曜日はG+で見たわけで、こうなると字を書く気力がない。ブログで経過とか、印象に残ったシーンを書き留める気力がうせたので、スコアも何も書かない。
 アメリカンフットボールともしばらくお別れである。すごく、さびしい気がする。
近々お邪魔します

2006年2月4日

 2月3日(昨日)と2月1日は当ブログへのアクセスが0件だったそうな。他人のメモみたいなものを読んでも仕方ないからね。別に人に読んでもらおうと思って書いているわけではないけれど、ちと寂しい気がする。

 さて、気を取り直して本日(2月4日)のブログを作成することにする。
 最近定番になった大泉学園8時45分の電車に乗って、ひばりヶ丘で快速急行に乗り換えする。この電車のボックスシートに座ると週末という気分になれる。本日の目的地は、横瀬駅から丸山である。
 正丸駅から先に乗り込むのは、実に1995年12月15日以来である。この時は、会社の忘年会で、所沢から特急に乗って秩父に向かった。小鹿野町の「本陣」に泊まって、翌日ゴルフをしたようだ(保存しているスコアカードより)。
 正丸駅を出てすぐにトンネルに入る。入り口に「正丸隧道4811m」と表示が見えた。
 少し前に池袋の西武百貨店で購入した「大人の遠足BOOK秩父奥武蔵を歩く(JTBパブリッシング)」にも丸山は取り上げられているが、芦ヶ久保駅からフルーツガーデンをぬけて、一回りするコースが紹介されている。しかし、本日は横瀬駅から秩父34ヵ所札所巡りに入っている9番明智寺(小さなお寺)、7番法長寺のそばをぬけて、日向山の方向に登ってゆく。途中、釣堀に入り込むような感じの場所があるが、半ば迷いながら突入する。
 横瀬駅の目の前には石灰岩採掘で削り取られた武甲山の北側斜面がそびえている。非常に近く見えて、すぐ登れそうだけれど、山頂まで4時間はかかるようだ。近々お邪魔したいとは思っているが、体重を減らさないときついな。
 丸山への標高差は700m近くあり、上りはやはりきつい。特に山道の土砂が流されて、狭くて深い「沢」状態になっているところは、霜柱(標高10cmぐらい)まで立っていたりして、歩きづらい。
 あれやこれやで、10時15分に横瀬駅を出発して、丸山頂上のコンクリート3階建ての展望台への到着は、12時35分であった。展望台からの展望はすばらしい。両神山、武甲山、伊豆ヶ岳などが広がる。写真を撮りたいが、寒くて手が動かない。なんとか、武甲山と両神山を写真におさめる。頂上付近で、7番法長寺の近くのコンビニで買ったおにぎり(定番となっている辛子明太子と赤飯)で昼食をとるが、寒くて早々に退散する。かなり冷えた状態のものを食べたので、下山する時胃にまるまる残っている感じがした。食べる時に軍手を取ったら、手が真っ赤になっていた。しびれて凍傷になるかと思えるほどだった。
 12時55分に下山を開始して、順調に下ってゆき、芦ヶ久保駅発1時17分の電車に駆け込む。これで、西武秩父線の全駅を利用したことになる。