2006年1月

看板に偽り?

2006年1月30日

 1月28日(土)快晴だが風強い。
 ひばりヶ丘駅から三峰口・寄居行きの快速急行に乗車する。西吾野駅に初めて降り立ったが、駅は高台にあって回りには何もない。
 9時55分頃、出発する。川沿いの舗装道路を登って行く。高山不動への上り口は、パノラマコース、萩の平コース、名称不明の川沿いのコースと3つあるようだ。本日は、最後の川沿いに登ってゆくコースを採用する。
 同じ電車から降りて歩き始めたのは3人であった。川を横切るなぞの構造物をくぐる。これが、地形図に出てくる太平洋セメントベルトコンベアというものらしい。
 ダムの脇から山道に入る。最初の訪問地は不動三滝のうちの大滝である。水量がいまひとつで迫力に欠けた。そこから約30分で白滝に至る。登山道の分岐まで戻りきらないうちに、高山不動への登り口がある。ここからはひたすら登ってゆく。
 名物の大銀杏まで、白滝から約30分で到着。高山不動から奥の院、関八州見晴台までさらに登る。関八州見晴台と奥の院というのは、場所が離れているのかと思ったが同じ場所にあった。昼過ぎに到着したと記憶する。日向ぼっこをしながら、お菓子の昼食。
 いつか登りたい武甲山、二子山(芦ヶ久保)、正月に登った伊豆ヶ岳等々、さらには富士山もよく見える。山々を眺めていると、日本武尊の辞世句、
大和は国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるはし
が浮かぶ。この歌の大和は奈良のあたりの大和であろうが、ここ武蔵の山々も濃い緑の美しい姿を見せている。近づいたら、人が植えた杉が多いけれど、よくぞこんなところまで植えたなあと最近思う。憎まれ者の杉林も年月が経って、山の姿に溶け込み始めているのか。
 下山し始めてから、西吾野駅までは1時間ちょっと。下りはパノラマコースをとったが、眺望はほとんどなく、わずかに子の権現遥拝所というあたりで、子の権現が見えた程度である。タイトルの「看板に偽り?」はこれを言っている。
 高麗、武蔵横手、東吾野、吾野、西吾野、正丸と秩父線の駅を攻略(?)してきたので、次は芦ヶ久保か横瀬か?

タイムチャート

9:55 西吾野駅出発、10:20 ベルトコンベア、10:40大滝、11:07白滝、11:33高山不動大銀杏、12:05関八州見晴台、12:30下山開始、13:45西吾野駅着

やればできる特捜部
2006年1月24日
 昨夜、ホリエモンが小菅の住人になった。今朝のワイドショーでは、拘置所内の間取りを詳しく説明していた。3畳一間でトイレ、洗面台付きの個室に入っているようだ。まあ、人間なんて立って半畳、寝て一畳というから3畳もあれば十分でしょう。ただし、冷暖房不完備らしい。
 今回の事件はあっという間にホリエモン逮捕まで行ってしまった。しかし、強度偽装のほうはチンタラチンタラ、グズラグズラ、モソモソと進んでいるのやら、後退しているのやらわけがわからない。
 ここから書くことは、個人の意見である。自分はこう思うということを書いているのであるから、素直に受け止めるべし。反論があれば、自らブログでも起こして、記すべし。
 株の世界は、法律に違反しているかどうかはともかく、だまされる方もだまされる方という世界である。きちんと契約して、マンションを購入した人たちとは違うのである。
 それが、ホリエモンの方はさっさとやって、強度偽装はホリエモンのどさくさでうやむやというのは、許されることではない。
 国民大衆が納得する対応を特捜部に期待する(最近特にそうですね。2010年10月14日)。

初打ちにかえて

2006年1月22日

 本来なら今日は近所のゴルフ練習場のコンペで児玉カントリーに出かけ、本年の初打ちとなるはずであった。しかし、生憎の雪で昨夜中止の電話がかかってきた。
 それならばと、山歩きに出かけた。練馬区の雪は深かったが、飯能を過ぎるとそれほどでもない。当初は、武蔵横手駅で降りて、高麗駅まで歩く予定であったが、雪が大したことないのを見て、一駅先の東吾野駅で下車。
 前回と同じ道を登ってゆくと、無線のアンテナを立てた車が2~3台駐車している。降りてきたおじさんの手元には、鉄砲一丁。これから一仕事ではなく、終わったところのようだ。したがって、この方面をこの季節、あまり朝早く歩くと、撃たれます。
 ガイドブックで50分となっているユガテまでは前回同様、35分で到着。ここから、前回はエビガ坂から鎌北湖を目指したが、まっすぐ北向地蔵に向かう。
 お地蔵様のところには、出発後1時間10分程度で到着。「これから、健康でいて何百回も来られますように」とお祈りする。
 さて、ここで私は何を拝んだのだろうと歩きながら、ずっと考えていた。形は北向地蔵を拝んだが、その後ろの見えないものを拝んだのではないか。このあたりは、毛唐には到底理解できない日本人の心理、精神だろう。例えば、明治神宮に初詣に出かけた人のうち、「明治天皇様、おかげで日本も近代国家となり、世界のうちでもリッチな暮らしをさせていただいております」とかの明治大帝を拝んだ人はどれほどか。明治神宮の拝殿の奥を拝んでいるのではないかと思う。そう、超自然的存在に祈ったのではないか。
 母方の祖父は毎朝、お日様を拝んでいた。手を叩いていたか、叩いていなかったかは定かではないが、手を合わせている姿は覚えている。彼は、百姓だからお日様は大事な存在だから拝む、だけど、太陽ばっかりでは作物はできない。雨も適当に降らないといけない。そう、おじいちゃんは太陽を拝みつつ、その後ろの超自然的存在に「適当に雨もふらせておくんなはれ」と拝んでいたと俺は思う。
 日本人の大多数は、多神教ではなく、一神教なのだ。超自然的存在を本当は拝んでいるのだ。神社、仏閣、石の地蔵様等々見かけの形はなんでもいいのだ。お経の中にも、「恒河沙数諸仏」(ガンジス河の砂粒ほど数多くの仏様)という表現がある。いろいろなものを拝んでいるように見えるが、本当に拝んでいるのは、見えない存在なのだと俺は思う。
 北向地蔵のことからずい分脱線した。ぼーっと歩いているわけではないのだ。いろいろ考えながら、歩いているのだ。北向地蔵から物見山に向かう途中、2個小隊と遭遇する。ちょっと人数が多いのと違いますか(団体はきらいなので、「こんにちは」などと声はかけない。一人の人には、挨拶するけれど)。
 歩きながら、ギャグをいろいろ考えていた。山男、山女を「じゃまおとこ。じゃまおんな」と読ませるのは如何。
 物見山山頂付近には2パーティ、計9名さまが休憩中。当方適当に休憩して、一等三角点を見物に行く。このあたり、雪がかなり残っているところと、まったくないところといろいろある。最も危なかったのは、高指山の無線中継所付近の舗装道路。凍結していて滑ります。
 日和田山の頂上には立ち寄らずに下山。金刀比羅神社近くの斜面には幸い雪はまったくといっていい程残っていない。昨夜の想定では、このあたりどうして降りていこうかといろいろ考えていたのに。
 金刀比羅神社からは高麗駅まで淡々と歩いてゆく。高麗駅に着いたら、前回同様飯能行きが出てゆくところであった。たぬき蕎麦を一杯いただいて、その後缶ビールで乾杯。
 しかし、大泉学園駅の方が山よりも寒かった(酔い醒めともいう)。雪は踏み固められて滑るし、大変な思いをして帰宅。次回は予定どおり、高山不動方面に出かけることにする。

むかしむかし

2006年1月21日

 「むかしむかし、あるところに『ほらえもん』という若者がおったそうな。都の大学を中退して、大根じゃのうてカブを売り買いしたりして、たいそうなお金持ちになったそうな。都で羽振りのいい暮らしをしておったそうじゃが、都の偉い人のご機嫌を損ねて、牢屋に入れられて、最後はムイチモンになったそうな。」日本昔ばなし風に書くとこういう感じになるのだろう。
 ライブドアの捜索は、いかにも作為的なものを感じた。そう感じた人は多いはず。強度偽装問題の国会喚問はどこかに飛んでいってしまった。ヒューザーと政治家の癒着とか、臭そうな話はたくさんあったのに。伊藤なんとかがテレビに写っていたが、どこの業者かと思った。あまり、上品な顔とは言えない人だね。いわゆるおなじ穴のムジナ?という感じ。
 しかし、東京証券取引所のシステムも情けないシステムだね。バブルで膨らんだ会社が少しよろっとしただけで、システムダウン。世界中の笑いものになってしまった。これで、株式上場なんて笑わせる話ではないか。
 昔話ほど古い話ではないかもしれないが、その昔、リクルート事件というのがあった。株をばらまいた効果かリクルートという会社は残っているが、ライブドアは残るかね。難しい気がするが。
 それにしても、孫とか三木谷とか似たような連中はうまいことやっているのだね。
 雪の朝に一話。

生活信条

2006年1月16日

 一週間会社づとめをしていると、ブログに書くような題材になかなかめぐり会えない。仕事の話を書いても、よその人にはチンプンカンプンだろうから。
 さて、昨日は義父の3回忌の法要。
 ご幼少のみぎりから、お寺といえば浄土真宗のお寺である。出身が西(神戸市)のせいもあるのかもしれないが。就職して、結婚して東京に住んでいても、やはり浄土真宗。
 父方祖母が健在の頃、坊さんが家にお経をあげに来ていた。お経の部分は覚えていないが、次の言葉は覚えている。
・み仏の誓いを信じ尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます
・み仏の光をあおぎ常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます
・み仏の教えにしたがい正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます
・み仏の恵みを喜び互いにうやまい助けあい 社会のために尽します
 実家に来ていた坊さんは、最後にこれを唱えてお役御免となっていた。この4節の中で、一番好きな節は最初の節、特に「強く明るく生き抜きます」が心に残っている。
 浄土真宗では、上記の言葉は、浄土真宗の生活信条といい、昭和33年4月に勝如上人が作成したと、西本願寺のホームページに書いてある。ということは、俺は当時7歳(もうすぐ8歳)だから、出来立ての言葉を聴いていたらしい。
 現在は、東京都杉並区のお寺の檀家だけれど、この生活信条は聞いたことがない。使う経典にもお寺により好みがあるのか。
 いずれにせよ、激動の世の中である。「感謝のうちに励みつつ、強く明るく生き抜くぞ」と思ったので、ブログを書いてみた。

鎌北湖

2006年1月9日

 西武鉄道レジャー事業部発行の奥武蔵ハイキングマップ「鎌北湖」のコースを歩いた。本年2度目の山行きである。
 駅に早く着きすぎたが、当初予定の寄居とか三峰口直行の快速急行に乗車する。前4両と後ろ4両とで、行き先が変わる。しかし、飯能駅はヨーロッパスタイルの行き止まり駅だから、どっちが前か後ろか定かではない。
 下車駅は、東吾野である。利用するのは、今回がはじめてである。
 例によって、駅のトイレを拝借した後、歩き始める。国道299号を横断する歩道の向こう側が、駐在所なので、信号にしたがって横断する。もっとも、歩行者用ボタンを押したらすぐ信号が変わったけれど。
 武蔵野30番札所福徳寺まではすぐだが、前を素通りした。このあたり、日陰に入ると、今日は寒かった。コートのフードを出してかぶる。川沿いに上ってゆくというのは、このあたりの駅から登り始めるときの定番。連日の寒さで、川も凍っている。
 虎秀というところで、右の山道に入ってゆく。勾配が一気にきつくなったので、休み休みしながら、登ってゆく。福徳寺からユガテ(湯ヶ天)まで、マップでは50分とあるが、35分くらいで到着する。
 セータを脱いだり、支度を整えて歩き始める。賑やかな(うるさい)おばさん3人連れを追い越す。よけてくれたので、紳士的に「お先に」と挨拶してゆく。
 エビガ坂から下り始める。出会ったおじさんが「いい道だね」といっていたけれど、そうかな。途中から、鎌北湖への道は舗装道路となる。この舗装道路に出る寸前に、標識が出ていることに気がついた。目が標識の方に、流れた途端、右足首をひねって転倒した。粗忽者め!
 鎌北湖でリタイアかと思ったが、何とか持ちこたえた。
 全面凍結した鎌北湖では、スティックで突いたり、石を投げ込んだけど、氷は割れず。釣りをする人は、紐のついた重りを投げて、氷を割っていた。でも、魚は逃げてしまうのではないか?と思った。
 鎌北湖は農業用水のために作られた人造湖とかで、釣りも有料との看板があった。
 ここで、しばし休憩する。犬(猟犬?)の魂を祀る社があった(犬魂碑拝殿)。 さあ、出発ということで、階段を上り始める。珍しく、整備されたコースだな思ったけど、次第におかしいことに気がつく。そこは、四季彩の丘公園というところだった。ロスタイム20分で振り出しに戻る。さっき上った階段の脇の道を登ってゆく。ここから、北向地蔵まで30分とマップにあるが、そのくらいの時間はかかったようだ。ここもまた、なかなかきついのぼりでした。
 北向地蔵様と2回目のご対面をする。携帯電話の本体が入れ替わったので(ブログ「当たり外れ」参照)、以前撮影したお地蔵様の画像が消えてしまった。本日、撮り直し。
 コンパスで見ると、真北よりは少しずれていると思うが、磁北もこのあたりは西に7度ずれているそうだから、どの程度の北か確かなところは不明。
 この先はマップで行くと、五常の滝(のそば。寄りたければどうぞ)経由で、武蔵横手駅に降りてゆくのだけれど、本日は高麗駅を目指す(当初からの予定通りで、衝動的に行動したわけではない)。
 物見山の山頂で休憩後、高指山のNTT無線中継所の脇、日和田山山頂の脇、金刀比羅神社を経由して、高麗駅へ。
 しかし、高麗駅への道は、ほんとダサイ。歩行者無視の車社会。ちょうど、日高市長選挙の看板があって、蹴飛ばしてやろうかとも思ったが、捕まるのもあほくさい。おまえらたまには歩いてみろや。駅に着いたら、上りが発車するところで、余計にむかつく。売店で、蕎麦を食べて休憩。高麗駅2時25分発で、3時45分には帰宅したから、帰りは順調だった。
 4時間近く歩いたが、本日の万歩計の読みは、19,900歩であった。では、また。
 持って行った地形図等
・山と高原地図22「奥武蔵・秩父」(昭文社)
・25,000:1地形図「飯能」
・西武鉄道刊行パンフレット「鎌北湖」

当たり外れ

2006年1月9日

 どういうきっかけだったか忘れたが、携帯電話をmovaからFomaに変えた時、エリア内のはずなのに、「圏外」と表示されることに気がついた。電源をOFFにしてONにすると、アンテナが立つのだが、またいつか「圏外」となってしまう。この時は、この問題が起きる頻度がさほどでもなかったので、我慢して使っていた。
 昨年の2月、新しいFomaが出た時、P901iを衝動買いしてしまった。しかし、また同じ問題が生じた。怒りに燃えて、NTTDocomoに電話すると、Fomaでそういう問題が起きることがある。現在、アンテナ増設等の対策を進めているうんぬんかんぬん。
 そんなもんかと使っていたが、昨年の暮れから、正月にかけてどうしようもない状態に陥った。毎朝、圏外である。OFFからONにしても、電波をつかまえられない。
 暢気な筆者もついにたまりかねて、駅前のDocomoショップに持参した。当然、画面は「圏外」のままである。
 机を叩いて、暴れなければならないかとも思ったが、少々のクレーマーには相手も慣れているし、当方風貌に似合わぬ気弱な紳士だから、紳士的に対応しようと心に決めて乗り込む。対応してくれたおにいちゃんは、「どれどれ調べてみましょう。10分程、待って下さい」という。しばらくして、出てくると「感度等は正常である」とのたまう。「これでは使い物にならぬ」と当方。「Fomaカードが不調だと、『圏外』になる可能性がある。Fomaカードと本体を新しくしてみましょう。これで様子を見て下さい」とお兄ちゃん。
 で、Fomaカードも本体も新しくなった。そういえば、FomaカードはNからPに変えた時、抜いて差したものであった。
 今のところは順調である。しかし、物見山の頂上で、目と鼻の先に高指山のNTTのアンテナが見えるところで、「圏外」となっていた。また、現象再発かと思ったが、そのまま下界に下りてくる。高麗駅でみたら、アンテナ3本立っていたので、OKなんだろう。それにしても、Fomaのエリアは狭いんだね。
 ちなみにIT用語辞典によれば、Fomaカードとは、・・・NTTドコモの携帯電話サービス「FOMA」対応の端末で利用者の識別に使われる、着脱可能な小型のICカード。・・・となっている。受信を制御しているようには思えないけど。やっぱり、外れをつかまされたか。

山は怖い!

2006年1月5日

 山の恐怖といえば、遭難、雪崩、落雷、落石、転落、熊、猪あたりが思い浮かぶ。
 最近買った「山でピンチになったら」(上村信太郎、山と渓谷社)には西武秩父線高麗駅などから登る物見山で、鉄砲で撃たれた話が書いてあり、「えっ、あの物見山」と山の恐怖には、いのししと間違われて撃たれるという恐怖もあることを知った。
 昨日は世の中的には、仕事始めのところも多いのだけれど、休みを1日延長して、西武鉄道刊行の「伊豆ヶ岳」というパンフレット記載のコースを歩くことにした。飯能駅に着いたら、1月4日は平日ダイヤということで、9時台の秩父方面行きは特急1本、各停1本であった。むなしく30分ホームとか、停車中の池袋行きの電車の中で時間を過ごす(ホームは寒いため)。
 そんな訳で、正丸駅を出発したのが10時10分頃であった。舗装されたかなりの勾配の道を登ってゆくが、電柱に何やら布切れが巻いてある。「何だろう」と思って見ると、「人家あり。発砲注意」と書いてあるではないか。「こんなところで、ぶっ放すなよ」と思うと同時に、本の中の話を思い出す。
 登ってゆくうちに道が正丸峠方面と、伊豆ヶ岳方面へと分かれる。出発時間が予定よりもだいぶ遅くなっていたので、正丸峠から回るのではなく、伊豆ヶ岳方面への近道を選ぶ。そのあとは、これが道かよと思うような斜面を直登するルートをたどる。尾根道に出た時、方向を誤って、正丸駅に逆戻りしそうになったが、コンパスで確認して正しい方向に戻る。
 それからもきつい坂を登って(女坂とはいえ、結構きつかった)、伊豆ヶ岳山頂へ到着する。山名の由来は、アイヌ語のイズ(突き出た鼻)、柚子、伊豆が見えたからとか諸説があるらしい。
 そのあとは、登ったり、下りたりしながら、古御岳、軍畑山を経由して、天目指峠、子の権現へと歩く。いきなり斜面を登ったり、フラットになったりとまさにインターバルトレーニング。
 時間もおしていたので、子の権現は素通りする。ところが、吾野駅まで約4kmを残して、すっかり膝にきてしまった。賽銭をあげずに素通りしたたたりか、体重が重すぎるのか。
 吾野駅に向かって、舗装された道を降りている時、犬を連れた人に出会う。ふと彼の背中を見ると、鉄砲を担いでいる。散弾銃なのか、ライフル銃なのかは、その方面に疎いので、わからないが、おもわず「こんにちは」と挨拶する。
 やっぱり本に書いてあることは本当なのだ。朝登った道なき道も危なかったのではと「ぞーっ」とする。
 痛む膝をだましだましなんとか吾野駅に到着した。電車、バスの連絡がよく5時過ぎに無事帰宅した。駅の階段を下りるのがつらかった。
 減量が必要と痛感した一日であった。
 持って行った地形図等
・山と高原地図22「奥武蔵・秩父」(昭文社)
・25,000:1地形図「正丸峠」、「原市場」
・西武鉄道刊行パンフレット「伊豆ヶ岳」・・・正丸駅にて入手。家にあるはずだが見つからず

女神

2006年1月4日

 今日のタイトルの女神は、女神は女神でも駅伝の女神様である(神様なのかもしれないが、もう性別不詳の世界の方なので、女神とさせて下さい)。
 元旦の朝は、8時にテレビをつけたが、「あれ、まだスタートしてないぞ」が第一印象であった。実業団駅伝のスタート時間を8時と勘違いしていた。実際は8時半のスタートで、細かいことはいろいろあったにしろ、コニカミノルタが約5時間後に順当に優勝を飾った。この日は、駅伝の女神様は、順当な結果になるように采配を振るった。
 しかし、女心と冬の空とはよくいったものである(秋ともいう)。翌1月2日から、女神様のご機嫌があやしくなった。
 1月2日8時、例年のように第82回箱根駅伝がスタートした。第1区はけん制しながら集団で中継点近くまで行くことが多い。しかし、今年は日体大の鷲見(すみ)が飛び出し、1位で鶴見中継所かと思われた。しかし、ここで女神様がせきかあくびをしたんでしょうな。鷲見は失速し、17位に沈み、中央学院大の木原が同校初の区間賞を獲得した。
 続く2区でも女神様はあくびかくしゃみをしたようである。山梨学院大のモグスがすごい勢いで、区間新間違いなしというペースで走ったが最後にスピードが鈍り区間新は逃した。ケニア人二人に好成績を授けるのは面白くないと思ったのか、日大のサイモンがブレーキ。過去にこの2区で、棄権とかが出て、その結果として給水制度ができたと理解しているが、その給水で水を飲んだら腹痛というのは皮肉である。ブレーキとはいえ、モグスと約3分差の19位だから、よく完走したよ。
 さて、スーパールーキー、スーパールーキーと去年あたりからテレビ局が騒ぐようになったけれど、3区を走った東海大の佐藤君は期待通りに区間新をたたき出す(女神様ご機嫌よし)。
 4区は順天堂大の1500mランナー村上が距離の短さを生かして区間賞を獲得し、次の5区のドラマのお膳立てをする。
 5区は昨年、脅威の区間新を出した順天堂大の今井が今年も長さが伸びた新しい5区の区間賞の走りで、芦ノ湖にトップでゴールイン。今井は昨年に引き続き金栗(四三)杯を獲得することになった。このあたりは、女神様は2度骨折した今井のレースをやさしく見守っている感じ。
 いよいよ1月3日の朝を迎える。「30秒差の2位スタートなら、いただいたのも同然」という駒沢大の思惑を打ち砕くように、6区で順天堂大がリードを拡げた。7区順天堂の小野は区間賞こそ法政大の柳沼に譲ったがその差わずか6秒で、リードは大幅に拡がる。
 波乱は8区で起こった。「このまま行ってしまって、順天堂大が優勝するのは、順調過ぎて、ちょっと面白くないわね」と女神様がヘソを曲げると、順天堂大の難波が脱水症状でまさかの大ブレーキ(区間20位のビリ)。この間に5連覇をねらう駒沢大がトップに踊り出る。これで、駒沢大の5連覇かと思われたが、テレビ放送の中で、駒沢大の大八木監督が「手を叩いて喜んだ」と報じられた。この俺でさえ、「勝って兜の緒をしめよ」を忘れて喜びすぎじゃないのと思った。
 案の定、女神様の方も「私のことをなめたらあかんぜよ」とばかり、9区で亜細亜大の山下の後押しをして彼に区間賞の走りをさせ、駒沢大の平野をかわして首位に立たせる。
 最後の10区は駒沢大糟谷と亜細亜大岡田の対決となった。亜細亜大のリードは42秒で、実績のある糟谷が走るし、駒沢大の逆転は十分可能と誰しもが思った。しかし、一度ヘソを曲げた女神様は「そんな甘いもんやおまへんねん」とばかり、糟谷を区間17位にたたき落とすお仕置き。
 亜細亜大岡田は最後、脚がつりそうになりそうになるなかで、ゴールテープを切り、初優勝をもたらす。メンバーになっているゴルフ場の近くに、亜細亜大の合宿所があるそうで、走っている子をみかけたことがある俺は、わがことのように喜んだ。よかった、よかった。
 そんなわけで、我が家の一同が楽しみにしている箱根駅伝も終了した。例年にない面白さで、中だるみがまったくない2日間であった。毎年、毎年競り合って面白くなってるように思われる。
 ところで、早稲田大は、またしても予選会まわり。中央学院大は2人が区間賞を獲ったにもかかわらず同じく予選会。城西大の高岡は区間賞の走りで、シード権獲得を目指したが、日体大と東洋大にうまくかわされ11位。本当に惜しかった。
 来年は、女神様のご機嫌を損じないように謙虚な発言、行動をされるように期待する。ではまた来年、大手町で。

ゆでたまご+つまようじvsめだま

2006年1月3日

 このなぞなぞをすぐに解けた人は、格闘技系のTV番組に強くて、なおかつユーモアのセンスのある人とお見受けする。
 大晦日の夜は、NHKは「みるもんか」でPride、K1を見て過ごした。その中で、タイトルは、曙対ボビーを見ているときに、頭によぎったイメージである。
 曙に攻撃手段がなく、肩(腹?)で息をしながら突っ立っている時、上体の割合には脚が細く、ゆで卵にツマヨウジを差し込んだような形に見えた。かたや、ボビーは目玉ギョロギョロであった。それで、上記のようなタイトルになったという次第である。
 曙のように大した戦績もなく、毎年末テレビに出られるのは、当然タダ働きではなく、収入が伴うのだから、うらやましい限りである。もう少しやせれば、何とかなるように言われてきたが、まったく変わらない。体重を維持することが攻撃につながると本人が思っているのなら、ボビーにヒップドロップでも食らわしたらよかったのにと思う(反則?)。

 しかし、曙とか小錦とかマイウー石橋がやせちまったら、商品価値なしか。
 本年もお付き合い、よろしくお願いします。