2007年1月(1)

鉄道模型趣味

2007年1月11日

 入院生活なので時間はある。
 11時という遅い開店時間の売店で新書を一冊買ってその日のうちに読み了えた。
 その日のうちに書評のブログを書いたのならば「千夜千冊」に対抗できたかもしれないが、一日遅れで書くようだと話になりません。
 とはいいつつも読後感じたことを書いてみようと思う。
 読んだ本は原信太郎著「ス一パー鉄道模型わが生涯」(講談社+α文書)である。
 著者は87才という高齢の方であるが、ご幼少の頃から鉄道模型の製作を続けてこられ1,000両以上も作られたそうだ。それ以外に一番切符を収集したり、趣味は「鉄道」という感がある。
 かくいう自分も中学の時、HOゲージの模型を買ったことがある。電気機関車(EB)、客車、無蓋車各1両とパワーパック、レール(円+直線)の如何にもおもちゃ然としたセットである。自転車で走り回っていて見つけた模型屋で買った。2~3才の弟(10才達い)を連れて市電で出かけた。帰りは荷物があるので弟を市電から引きずりおろした。
 当時はそごうの神戸店や大丸の神戸店にはメルクリンの鉄道模型がおいてあった。Oゲージもおいてあったが、HOゲージが主流だったように思う。メルクリン社のHOの模型は、中央のレール(のような部分)から集電していたように思う。
 買った模型だけど、機関車が青なのは雰囲気が出ないので、しばらくしてラッカーで茶色に塗ったりした。パワーパックの配線も自分でやった。しかし如何せんお金が続かない。毎年少しずつ車両を増やしてゆく計画表を作ったりしたが所詮は画餅。セットもいつの間にかどこかに消えてしまった。
 その頃は、本屋で鉄道模型趣味という雑誌を立ち読みしていた。この年になっても、本屋で見つけた時はページを繰ってみる。
 模型を作ったり、集めたりする趣味を持つところまでには行かなかったが、鉄道好きなところは残っていて、学生の頃は夜行鈍行で旅をしたり、就職してからは、神戸から水戸まで鈍行を乗り継いで戻ったりした。今でも新しい車両に反応して携帯のカメラで写したりする。また、自社の事務所が都電の荒川車庫前にあり、ここに大塚駅前から都電で行く時は楽しい。
 書評とはいえない文章だけれども、原さんにあって自分にないのは続ける情熱、根気カかと思う。
 残念ながら生涯の趣味はめぐりあえないまま生涯を終えそうだ。しかしそれもまた人生、我人生である。これからも気儘に生きさせていただきたい(第8号、1月9日記)。

コイン式インターネット接続ブース

2007年1月9日

 現在入院中であることは既に書いた。世の中はもう始まっているし、明日9日からは本格的に始まることだろう。ところが当方は病院のベッドで暇をもて余している始末。
 しかし、やらなければならないことがある。ゴルフの予約をキャンセルするとか、歯医者をキャンセルするとかなどである。
 自分の携帯電話があれば、電話帳から捜してすぐに電話ができる。だが本病院は携帯電話が全館禁止であるので携帯は家においたままである(実は一度こっそり持って来てもらったのだが、発見されて持ち帰らされた)。
 エレベータホールに公衆電話が3台あり電話帳もおいてある。でも板橋区・北区版であったり、捜しにくいタウンページしかない。
 仕方がないので100円玉を10円玉に両替して、104番で聞くことにするかと思い、両替機のある地下に降りてゆく。
 地下で両替機をみつけたが、その隣にパソコンを発見する。普段は高いと見向きもしない10分100円の「コイン式インターネット接続ブース」があった。
 よしっと100円玉を投入し、我がゴルフ場のホームページを開き、予約専用の電話番号をゲット。続いてインターネットタウンページで不動産屋と歯医者の電話番号をゲット。
 余った時間で読売新聞と朝日新聞をチェックする。他には我がブログヘのアクセス状況とか、外為相場をチエックした。この原稿を書いているPDAからインターネットにアクセスできるのだが、体につけている心電図計に雑音がのってバレると困るので使っていない(メール送信をセットしてパッと逃げるようにして送受信はしている)。
 ちなみに104番はいくらするのだろうかと思って調べてみたら、公衆電話からは一件100円であった。
 これなら両替はいらなかった。まあ、300円かかったところを100円で済ませたのだからよしとしよう(第7号、1月9日記)。

千夜千話

2007年1月9日

 岩波書店が図書という小雑誌を刊行している。昔は無料だった(ように思う)けれど、現在は有料になっている。有料といっても送料程度なのだけど。手元にある昨日(1月7日)の日経新聞にたまたま岩波書店の広告が掲載されているが、一番端に図書1月号の執筆者も紹介されている。それから購読料が一年分送料ともで1,000円であることも書かれている。
 前置きが長くなったが12月号の記事から千夜千冊というブログがあることを知った。このブログは毎日違う本の書評を書くというものである。ということは少なくとも毎日一冊以上の本を読むということになる。一ケ月に一冊も読まない当方にしてみればものすごい試みであるとしかいえない。
 自分は本を読むといっても続かないし、でも今年からブログは毎日書きたいと思っていた。まあできることといえば毎日違うタイトルのブログを書くことだと思い元旦から書いていた。
 ただし、元旦の原稿は1月2日にアップロードした。これからも時間の都合で、原稿は書いたがアップロードは違う曰になることはあると思う。それはGooを立ち上げて、いきなり原稿を書くのではなく、電子手帳とかテキストエディタで書いた原稿を貼り付けているので、書いた日と世の中にさらされる日が別の日になることもありうるということ。
 そんなわけで4日間は書いたのだけど、第5日目に挟心症の発作で入院する事態となった。三日坊主は何とかまぬがれたけれど、ぬけが生じた。
 これからもぬけることはままあるかもしれないが、千話めざして書いてゆく。一日に2つ以上のブログを書くこともありうるので、千夜いかないうちに千話を達成したいものである(第6号、l月8日記)。

入院

2007年1月9日

 それは1月5日の午前4時頃の出来事であった。眼が覚めた。両胸が痛い。えもいわれぬ不快感がある。はうようにトイレに行き、用を済ませた後水をコップー杯飲む。
 暫く横になれば痛みは消えるか?痛みの原因は何だ。昨日のゴルフ練習場か?でも、たった120球しか打っていないぞ。
 遂にたまりかねて隣りの神様を起こす。「胸が痛い」、「救急車呼ぼうか」、「うん」。
 一緒に階下に降りる。居間に横になって痛みに耐える。救急車のサイレンが聞こえ、近くまで来て音が消えた。突然、どかどかと想像していた以上の隊員の方が室内に入って来た。その時は多少楽になっていたので、これは大事になったかと驚いた。酸素吸入と心電図の計測が始まる。
 それから毛布にくるまれ、ストレッチャまで運ばれる。重くてすみません。この間に昨夜は酒を飲んだかとか、どれ位飲んだか、血圧が高いといわれたことがあるか等の質問をされる。
 救急車の中で「楽になったでしょう」と聞かれる。確かに楽になっている。 「STが消えた」という声が聞こえた。
 救急車の行き先は、日大の板橋病院となったようだ。救急車に乗るのは運ばれる本人としては2度目だが乗り心地のいいものではない。
 救急車が来た時には心電図に異常があったせいか、集中治療室のようなところに運ばれる。パジャマの上半身、続いて下半身ももぎ取られ、紙のパンツというかおしめというかを着けていただき、これまた紙製のゆかたを着る。
 心電図は頭の後ろでずっと波形を描いているが、素人目にも異常はないように思われる。
 先生から肚か鼠蹊部からカテーテルを入れて、冠動脈の血管造影をするとかいわれる。鼠蹊部は勘弁して欲しい。13年前にやられて七転八倒した程痛かった。
 看護婦さんがやって来て、カテーテルを入れるのはおそらく肘からになると思うが、うまくいかない場合は鼠蹊部からになる。それに備えて剃毛をするとのたまわれる。それで部分的にジョリジョリされた。恥かし。
 さてそのカテーテルを入れる検査であるが、次から次へと急患が運ばれて来て(そのうちの何人かは亡くなったらしいと神様がいっていた)、症状がすっかりおさまっている小生の場合はどんどん後回しとなる。窓の外はいい天気だ。
 今日中の検査はないのかなと思っていたが、6時から検査が始まることになる。検査をすると動けなくなるので、尿道にパイプを入れるということで入れられたが痛いのなんの(前回入院した時は全身麻酔で意識なし)。
 検査そのものは1時間程であった。冠動脈が細くなっているようなところは特になく、血管が急に収縮したことで発作が起きるタイプであったようだ。
 検査中に血管の収縮を再現させようとしたらしいが、へそ曲がりが相手なので再現しなかった由。
 部屋に戻って遅いタ食をとる。すっかりさめていたけれどうまかった。その後は腰の痛みでろくに寝むられず。尿のパイプ、点滴のパイプが邪魔で寝返りも困難であった。こうして長い一日が終わった(第5号、1月7日記)。

解説者

2007年1月4日

 テレビを見ていると、何かにつけて解説者という方が登場する。この解説者というのがどうも好きになれない。一言で言うと、「うるさい」のである。「うざい」とか、「うざったい」という言葉は自分自身の言葉として使って来なかったので、うまく使えないし、ニュアンスがいまひとつ理解できない(神戸生まれ、神戸育ち。就職後ずっと箱根の関所の東に居住。56歳)。
 そんな中で、1月2日の東京箱根駅伝の解説者というかゲストに登場した法政OBの徳本くんのしゃべりは静かだし、論理的でなかなかよかった。瀬古よりよかった。あとは、マラソンとかの解説に出ている増田明美さんとか、アメリカンフットボールの解説に登場する後藤完夫さんぐらいかな。落ち着いて聞いていられるのは。
 昔、野球の解説者に下半身のことを「しもはんしん」とお読みになる方がいて、何だか「おしも」のようで臭ってきそうであった。こういう方を含めて、大半の解説者はうるさい、はしゃぎすぎ、わめきすぎ、自己陶酔に陥りすぎ、あほばかちんどんやである。
 さて、なんだか品性が下がってしまったので、少し揚げよう。
 元旦の夜、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを録画して、それを昨日見た。冒頭から4名の方が出演されて、色々しゃべっておられた。はやく演奏を聴きたいので、すご録のFF2(早送り第2段階。5秒単位で進む感じ)を押す。それでも話が終わらない。FF3(これだと、1分単位で進んでゆく)にした。おっと、行き過ぎた。NHK様は日本国民ことごとく無知文盲と心得ておられるようで、色々解説なさりたいようである。
 15分以上経過して、ようやく指揮者のズービン・メータが登場する。ほっとした。途中の休憩の時も4人の方のお話が続く。もちろん、早送り。
 画面に見入りながら、女性の演奏者を探す。ええっ、ハープ奏者が男性?雰囲気が出ないな。結局、ビオラに一人いただけだ。さすがにウィーンフィルである。聴衆に日本人らしきおばさんがいたけれど、昔みたいに着物のおばさんはいない。よその国の正月行事に民族衣装でしゃしゃり出るなと思っていたから、結構です。
 解説者か何だかわからん人たちがごちゃごちゃ出てきたことに腹がたったが、その怒りを建設的な方向に転換せねばならぬと思い、すご録のA-B消去に挑戦した。やってみれば、大したことはなく見事にうるさい解説は消滅した。それをDVDにダビングして、コレクションが1枚増えた。去年はローリン・マゼール、今年はズービン・メータ。毎年、指揮者には大物が登場する。
 受信料払っていないのに大きなこというなって?
 国民を馬鹿扱いするような放送局とは、受信契約は締結しません。私は、オーストリアの国立放送局の番組を見たいだけなのだから。
(第4号、1月4日記)

第83回箱根駅伝

2007年1月3日

 箱根駅伝を見るために、二日間午前中はテレビにかじりついていた。
 今年は、ブレーキとなる選手もあまりなく無事に終了した。昨日、応援することを宣言した順天堂大が危なげなく総合優勝を飾った。
 総合順位を10位まで書くと、次のようになる。

1位 順天堂大学 11:05:29
2位 日本大学 11:11:42
3位 東海大学 11:12:07
4位 日本体育大学 11:16:44
5位 東洋大学 11:16:59
6位 早稲田大学 11:17:29
7位 駒澤大学 11:18:09
8位 中央大学 11:18:41
9位 専修大学 11:18:42
10位 亜細亜大学 11:19:14

 昨日、5区でブレーキした東洋大がよく挽回して5位に食い込んだ。また、往路14位と不振でシード落ちかと思われた中央大が挽回して総合8位に入り、往路13位の亜細亜大も総合10位に入ってシード権を確保した。城西大は昨年に引き続き総合11位となったが、10位との差は昨年の10秒から1分36秒に拡がった。こうしてみると、やはり名前の通っている学校でしめられていることがわかる。
 順天堂大は、2日連続して、上がりの2区間で区間賞、さらに5区、10区で区間新を出しているのだから、追いかけるほうはたまったものではない。1区から10区の区間賞を示す。

1区 東海大学 佐藤 悠基 01:01:06 区間新
2区 竹澤 健介 早稲田大学 01:07:46
3区 上野 裕一郎 中央大学 01:02:50
4区 佐藤 秀和 順天堂大学 00:55:30
5区 今井 正人 順天堂大学 01:18:05 区間新
6区 末吉 翔 日本大学 00:59:29
7区 鷲見 知彦 日本体育大学 01:04:38
8区 北島 寿典 東洋大学 01:06:28
9区 長門 俊介 順天堂大学 01:10:06
10区 松瀬 元太 順天堂大学 01:08:59 区間新

 ところで、学連選抜はやはり寄せ集め部隊だとモチベーションがあがらないのか最下位に終わる。不振が続くようだと、こういうチームはやめて予選会からもう一校出せという声が出るのではないか。今年の場合だと、1秒に泣いた拓殖大を出すとかという声も出るのではないか。
 また来年のお楽しみ。
(第3号、1月3日記)
==> 芦ノ湖の湖畔に箱根駅伝ミュージアムなるものがあると、見に入るとボランティアだか職員だかが解説してくれる。でも、当方にはうるさい。今度行く時は静かに見させて(2010.10.17)。

山の神

2007年1月2日

 我家の正月が駅伝漬けであることは昨日のブログにも書いた。本来であれば、今日は朝の8時から1時過ぎまで、テレビの前にべったりであるが、本年は事情が少し変わった。
 5区に入って暫くして、お孫ちゃまを婿さんの実家まで送るべく、車で出発した。暫く走った時、我が愛車にもテレビが付いていたのだと思い、4チャンネルの音声だけを聞くことにした。アナウンサーのしゃべりでは、どうも順天堂大が1区から首位をキープしてきた東海大をぬいたようだ。そのまま、聞いているとやはり順天堂大がトップに立ったんだ。すごい男だね。今井君は。
 駅伝に興味のない人にとっては、面白くもなんともない話なのかもしれないが、3年連続区間賞で、2年連続区間新というのはとんでもない記録だ。
 昨年も、今井君の活躍で順天堂大が往路優勝したが、復路で難波君がブレーキになって、優勝を逃した。去年が去年だっただけに今年は、順天堂大になんとか優勝してもらいたいね。
 これまで、あまり応援したことのない学校だけど、明日は優勝を願って応援することにする。それにしても、すごい男がいたもんだ~~と古い歌の一節を書くとともにタイトルを「山の神」とした理由をご理解いただきたい。
(第2号、1月2日記)

元旦

2007年1月2日

 穏やかな元旦を迎えた。
 我家の正月は駅伝また駅伝である。元旦の朝も8時半から実業団駅伝の中継にかじりつく。7区間100kmで争われるこの駅伝は区間によってはケニア選手権のような区間がある。そのケニア人というかマサイ族のランナーのすごい走りで、日清食品が一度はトップに立ったが、佐藤が快走した中国電力が逆転優勝した。ただし、ゴールテープを切るところは省略して娘と買物(孫のおもちゃ)に出かけた。
 ところで、正月といえば年賀状である。今年は1枚も出さなかったにもかかわらず約50枚いただいた。「約」と書いたのは、枚数を数えていったが、最後の1枚に読みふけったためわからなくなったためである。
 年賀状を書かなくなったあたりの事情はまたの機会に書くことにして、本年第1号のブログとする(第1号、1月1日記)。