2007年1月(2)

FORTRAN

2007年1月20日

 タイトルを「プログラミング」しようかと思ったが、前回のブログ(バックアップ用プログラムの作成)で書いたように現在はVisual Basic 2005 Express Editionという別の言語を使用しているので、これらについて書くこともあるかと思い、一番最初にお世話になった言語「FORTRAN」をタイトル名とした。
 今をさかのぼる昭和47年頃、学校の図書館でFORTRANを独学した。まる一日図書館にこもって、勉強したというわけである。読んだ本は、確か電電公社が編集した本だったと思う。森口繁一さん著のJIS FORTRAN(上)、(下)が有名だけど、これではなかったように思う。
 さて、4年生になって独学したFORTRANが役にたった。卒論は、電磁波の散乱パターンを計算するというものであった。当時、プログラムをカードで入力していた時代である。長さ、20cmぐらいのカードに80文字しかはいらない。パンチカードといっても今では、死語か。
 打ち込んだカードを箱に入れて、友達に借りたバイク(ホンダのダックス)で、計算機センターまで運んでゆく。先生からもらったsub routineのプログラムと自分が作ったプログラムが入っている。
 さて、一番最初に計算機センターに持ち込んだプログラムは、致命的なエラー(Fatal Error)が出て、つき返されてしまった。原因は、配列を"dimension"ではなく、"dimention"と打ってしまったことであった。英単語の発音は正しく覚えましょうであった。
 卒業後、20年ぐらいたって同じような計算をしたことがあったが、パソコンでも十分計算できた。ハードウェアの限りなき進歩である。
 2000年問題が騒がれた頃、ビジネス用のCOBOLのことはわからないが、FORTRANに時間を扱う機能はあったかと思った。自分でプログラムを作っている頃は、そういう機能はなかった。だから、2000年問題は関係ないのではないかと思った。
 急に思い立って、ファイルバックアップのプログラムを作ったりするのだから、プログラミングが好きなんだろうか。
(第18話、1月20日記)

バックアップ用プログラムの作成

2007年2月18日

 「パソコン版超整理法」という最近のブログの中で、次のようなことができるプログラムを作りたいと書いた。
・「超整理法」のホルダに存在するファイルが外付けハードディスクの指定ホルダに存在するか
(する場合)
 「超整理法」に存在するファイルのタイムスタンプと外付けハードディスクの指定ホルダ中ファイルのタイムスタンプを比較し、「超整理法」側が新しければ、ハードディスクにコピーする。
(しない場合)
 ハードディスクにコピーする。
 しかし、上記のようなバックアップの取り方は外付けハードディスクを取り付けたりするので、毎日バックアップできるわけではない。本日一応完成したプログラムは、ホルダ「超整理法」に存在する作成・更新が最近(30日以内)のファイルを会社のサーバにコピーしておこうというものである。こうしておくと、ハードディスクへのバックアップが30日以内ならば、サーバにファイルが残っているので、万が一この期間にファイルをおしゃかにしても救済されるというわけ。
 添付した画像は、プログラムを起動したところである。コピー元のフォルダとコピー先のフォルダを確認するボタンと、バックアップを実行するボタンを用意した。
 プログラムを作るにあたって使ったのは、Microsoft Visual Basic 2005 Express Editionという無料のソフトである。まあ、昔Basicでプログラムを作っていた頃とはことなり、クラスやらプロパティやらメソッドやら目新しい言葉がたくさん出てきていい勉強になった。
 次は作ると宣言した上記のような機能を持つプログラムだ。
(第17話、1月18日記)

そろそろ準備を

2007年1月17日

 例年1月中旬になると、花粉症対策をはじめる。自分の場合は、スギ花粉に反応する。具体的な花粉症対策は、夕食後「アレジオン」という薬を服用し始め、花粉飛散が終結するぐらいまでのむことである。
 アレジオンというのは、商品名で成分はインターネットで調べると「塩酸エピナスチン」というらしい。また、この薬の用い方と注意には、「花粉症のような季節と関係のあるアレルギー性鼻炎の場合は、シーズンの前から服用を始めておくとよいでしょう」と書いてある。そのとおり実行しているというわけ。
 今年のスギ花粉の飛散は、平年の3割程度と少ないようなので安心しているが、昨年よりは多そうである。
 山歩きで秩父の山を歩いていると、見事にスギが植えてある。昔の人が一生懸命植林をしたのであろう。よくぞこんなところにまでと思うところまで、スギの木が植わっている。ものすごい労力をかけて植林したのだが、その後の経済情勢の変化で、スギの商品価値がすっかり下がってしまい、維持管理ができなくなったというのがスギ花粉問題の根本原因である。スギの木が問題だったら、箱根や日光は歩けなかったのだから。
 スギを恨むつもりはないけれど、うっとうしい季節が近づいている。
(第16話、1月16日記)

「呆」務大臣

2007年1月17日

 NFLの試合をBS1で見ていると、7時、8時にニュースが入る。
 昨夜、8時のニュースの中で、事務所経費について領収書を添付すべきかどうかについて閣僚に聞いていた。領収書が必要と答えたのは高市、管の両大臣であった。冬芝は宗教団体がバックの政党の方らしく、領収書とかは使いたくないようで、はぎれの悪いことおびただしい。次に出てきた大臣の名前は忘れたが、その次に出てきた長勢法務大臣は、処理がたいへんだとか、人を雇わなければならないとかぐちゃぐちゃしゃべっていた。
 我々、企業に勤める人間にとって、仮に1000円未満であっても、領収書・請求書等の証拠書類は必須である。
 区議の調査費についても、領収書が不要とか訳のわからない話がニュースになっていた。
 国民の常識が通用しないようだ。常識が通じない人間が法務大臣というのが驚く。まさに、「呆」務大臣である。「呆」は「痴呆」の「呆」、「阿呆」の「呆」である。
 Saints対Eaglesの試合がすっかりまずくなってしまった。
 当初、ブログの題は「これでは支持率も」にしようとしたが、一晩たっても頭に来たのがおさまらないので、表記のようなタイトルにした。
 安部さんも就任以来、中国に行ったり、韓国に行ったり、西ドイツ(だったとおもうが)に行ったり、フィリピンに行ったりお忙しいようだけと、任命責任を重々認識いただいて、内政の方もしっかりやっていただきたいね。内閣支持率、不支持率が拮抗しているのも当然と行ったところか。また、民主党は小沢党首が4億円もの事務所経費を計上していたこともあり、この問題を追求できるかどうか。
 小泉再登板を期待するわけではないけれど、政治家3代目の浮世離れした人でも、「経費というからには領収書は必要でしょう」ぐらいは会見で答えたと思うが、安部さんの声は聞こえてこない。
 "Mr.Abe, show the flag!!"
(第15話、1月16日記)
==> 死刑に反対なら法務大臣になるな。まだ、100人ぐらいたまっているのだぞ。千葉なんていう民主党の大臣もいたか。

パソコン版「超整理法」

2007年1月16日

 現在、「超整理法」のまねごとをパソコン上で行っている。「超整理法」というホルダを作って、ショートカットをデスクトップ上においている。仕事で使うファイルは、とりあえず「超整理法」ホルダに保存する。類似のファイルがいくつか出てきたら、「超整理法」ホルダの中にサブホルダを作成して、その中に写す。
 サブホルダ中のファイルを編集したり、新しいファイルを放り込むと、更新年月日が新しくなる。したがって、「超整理法」ホルダを開くと、未整理のファイルが上の方にあって、続いてタイプスタンプの新しい順番にホルダが並ぶことになる。未整理のファイルが増えるとホルダが見づらくなるので、使わないファイルは削除したり、新しいホルダを作ってそこに移す。
 こうすると、しょっちゅういじるファイルを含んだホルダは上の方に位置し、さわらないホルダは底の方に沈んでゆく。
 ホルダが増えすぎると扱いづらいので、古文書i(i=1,2,3,・・・)というホルダをこしらえて、適宜そちらに移している。古文書iのサイズは、CD-ROMにおさまる大きさにしている。古文書iはCD-ROMにコピーしておく。
 こういうやり方をしているので、Wordで作ったファイルも、Excelで作ったファイルも、PowerPointで作ったファイルも「超整理法」というホルダに保存することになる。
 もし、古文書iホルダ中の昔の文書が必要になったら、「超整理法」に戻すということをやっている。
 ところで、紙ベースの「超整理法」ではファイルが消滅することはないが、昨年アップした「静電気? パソコンダウン」というブログにあるように、パソコン(ハードディスク)が壊れて電子ファイルがダメになる可能性もあるので、たまにUSB接続のハードディスクにバックアップしている。
 パソコン内部にハードディスクドライブが2つあるのならば、違うドライブにコピーすればいいのだが、会社でつかっているパソコンはレンタル品なので勝手にいじくりまわすわけにもいかず、上記のように時々USB接続のハードディスクを接続してバックアップすることになる。
 その時思うのは、もう少しスマートにバックアップできないかということである。
 会社のサーバに全部のファイルをぶち込むのは、容量の関係で難しいから、例えばタイムスタンプが新しいファイル(例えば1ヶ月以内)だけは、毎日バックアップしておく。
 これを実行するソフトを作りたいと考えている。
 イメージとしては、「超整理法」の中を検索して、タイムスタンプが新しいファイルを探す。サーバの中のホルダを検索して、そのファイルがあればそのまま。サーバのホルダになければ、コピーする。タイムスタンプが古いファイルは削除する。
 半月に一回ぐらいは、上記のようにハードディスクを接続してバックアップする。この時は、
・「超整理法」のホルダに存在するファイルが外付けハードディスクの指定ホルダに存在するか
(する場合)
 「超整理法」に存在するファイルのタイムスタンプと外付けハードディスクの指定ホルダ中ファイルのタイムスタンプを比較し、「超整理法」側が新しければ、ハードディスクにコピーする。
(しない場合)
 ハードディスクにコピーする。
 といったことができるプログラムをつくるぞ。使用するアプリケーションは、"Microsoft Visual Basic 2005 Express Edition"を予定している。
(第14話、1月16日記)

12年前のカセットテープ

2007年1月15日

 最近の入院騒ぎのことを入院、退院という2つのブログに書いたが、実は13年前にも入院していたことがある。平成6年2月中旬から4月中旬にかけて2ケ月病院暮らしをした。その頃書いた日記が残っているので、ブログのネタがなくなったら何本か書いてみるか。
 さて13年前、入院中空いた時間をどう過ごしていたかというと、朝まず自販機で新聞を購入しておいて、その新聞を読む、売店で買ったり差入れしてもらった本を読む、音楽を聴くことで時間をつぶれしていた。
 小説の筋とか何も覚えていないけれど藤沢周一さんの本も何冊か読んだ。
 他の人があまりやらなかったことでは、昼食後に風呂に入るというのがあった。これはともかくすいている時間帯でゆっくり入れたというのが理由であった。
 音楽の方はカセットテープに録音したクラシック音楽を聴いていた。その頃使っていたWalkmanが写真のものである。平成6年の正月2日にコジマ電機に車を走らせて購入した。検査入院することは、前からわかっていたので(今回のように不意打ちではなく)、図書館から借りてきたクラシックのCDを一生懸命、カセットテープにダビングしていた。そのテープを持ち込んだというわけ。
 今回の入院前に部屋を片づけていて、昔のカセットテープを見つけた。今でも音が出るのだろうか。出ないのならば捨てよう、いいソフトならmp3ファイルに変換して残しておこうと思った。それでWalkmanに電池を入れてみたが、テープが動かない。Walkmanが駄目なのか、テープが駄目なのかわからないまま入院騒ぎになってしまった。
 退院後テープをラジカセ(神様にあきれられながら、3,980円で新たに購入)に入れてみると、おおフィンランディアだ!ちゃんと音が出るではないか。
 次はmp3化だ。
 ラジカセのへッドホン出力をクリエィティブ社製Sound Blaster Digital Music SXに接続する。この装置はline in/outを2つずつ(line outの一つはピンジャック、他はRCA)、光ファイバを使うdigital in/out、外部電源端子、ヘッドホン出力端子などを有しており、パソコンとはUSBケーブルで接続する。つまり、パソコンのノイズが乗らないように音の処理は、別の筐体で行っている。
 さて、カセットテープの再生を始めたが、外部スピーカーから音が出ない。いろいろ、やってみるものの結果は同じ。
 会社のホームページから問い合わせを出して、とりあえずテープからmp3ファイルをこしらえて、それを再生しつつ、編集とかをしてみることにする。
 mp3ファイルの編集には、mp3DirectCutというよくできたフリーウェアを使用させていただく。mp3DirectCutを立ち上げて、画面をみると「録音」というボタンがあるではないか。よし、クリエイティブではなく、mp3DirectCutで録音してみるかということで、「録音」ボタンを押してみると、lame_enc.dllというファイルが必要だと、メッセージボックスが表示される。"Lame"で検索して、ようやくそのファイルをインストールして、エンコーダとしてこいつを選択する。さて、録音が始まったが、ファイルがどこに生成されるやらよくわからない。やっぱり、無音でもいいからクリエイティブのソフトを使うかということになった。
 さて、スマートレコーダーというソフトウェアを使って、録音を開始したら、外部スピーカー音が出るではないか。インストールしたのは、エンコーダ(符号化)であって、デコーダ(復号化)ではないのに。謎だ。
 スピーカから音が出るようになったことに気をよくして、昨日は60分テープを暇にあかせて料理した。1本はシベリウスのフィンランディア、交響曲第6番、歴史的情景が入っているテープ、もう1本はショパンのピアノ曲10数曲である。ショパンの方は、1曲1曲別々のmp3ファイルを作成した。ただ、残念ながら曲名まではわからないので、A01とかA02という情けないファイル名になっている。
 クーラーもない部屋に10年以上放置しても、ちゃんと音が出る。腐っていなかった。製品の品質がいいということであろう。
 これから、何十本かあるカセットテープをチェックしていこうかと思っている(その次は、大本命のDATテープの料理である)。
 定年退職したら、俺は何をして生きるのかと思ったこともあるが、こういうことをやっていると、時間はいくらでも必要だぞ。よかったね。
(第13話、1月15日記)

メトン周期

2007年1月13日

 病み上がりなので、本でも読もうと思い、図書館で科学史に関する本を借りてきた。借りて来た本は、「マクミラン世界科学史百科図鑑1及び2(1~6まであるが、とりあえず2冊借りる)」である。最初の方は、パピルスとか写本の話が続いて、いまひとつよくわからない。さらに、翻訳が直訳ぽくって読みづらい。当方、通信屋であるので、通信に関する記載が出てくるまで、絵をぱらぱらと眺めていくことにした。個人的な興味は、電気とか通信に関することであるので、例えば雷、電気、静電気、磁石、のろしなどに記述が出てくれば、本文を読もうと思った。
 そういった気持ちで、本を繰ってゆくと、「暦計算の車輪」なる絵(写真)が出てきた。説明のなかで、表題のメトン周期という初めて聞く言葉が出てきた。
 早速、ググってみると太陰太陽暦に関することがわかった。19太陽年が235朔望月(満ち欠けする月がひとめぐり期間。約29.5日と昔習った)にほぼ等しいということを、紀元前5世紀(!)のギリシャ人であるメトンが見出したというのである。
 235-12×19=7であるから、19年のうちに7回閏月を入れれば、正月がずれていかない暦ができるというわけである(メトンの方法だと、200年に1日ずれるそうである。強制的に改暦する必要があった)。
 調べてゆくうちに思ったのは、どうしてこういう法則を見出したのかという疑問である。少なくとも、19年間は月の満ち欠けを観察したのだろうか。それとも、もっとスマートな方法で計算したのであろうか。
 「暦」に関することを調べるのも面白いかもしれないが、世界中の地域、幅広い年代まで拡げると大変なことになるだろうね。こと、日本に関する暦の歴史だけでも研究するのは大変なことになるであろう。
 いずれにしても、昔の人は偉かったと思いませんか。
(第12話、1月13日記)

獏(バク)

2007年2月12日

 獏(バク)というと実在の動物と空想上の動物がいる。
 実在する動物の方はというと、「奇蹄(きてい)目バク科の哺乳類の総称。ずんぐりした体形で尾は短い。鼻と上唇が合わさって伸び、象の原型を思わせる。マレーバク・アメリカバクなど4種がある」、ということらしい。また、空想上の動物はというと、「中国の想像上の動物。形はクマに、鼻は象に、目はサイに、脚はトラに、尾は牛に似て、人の悪夢を食うといわれ、その皮を敷いて寝ると邪気を避けるという」と辞書には書かれている。また、「善良な獏は悪夢を喰い人を助けるが、悪質な獏は夢ごと精神(または魂)を吸い取ってしまう。 よって、人間の精神崩壊は獏の仕業とも言われている」という記述も見られる。さらに、「古代中国には象や犀などと同じように現在は絶滅してしまったが野生のバクがいた可能性が高い。であるから、一般的には伝説上の獏と生物学上のバクは無関係であると考えられているが、もともと同じものを指していたものが中国では絶滅したために伝説化した可能性も否定はできない」という意見もあるらしい。
 いつものように前置きが長い。
 緊急で入院して、その後一般病棟に移った後、夢(それも楽しい夢でなく、へんてこりんな夢)ばかり見て安眠できなかった。そこで、おまじないをして寝ることにした。紙に蛍光ペンで、「獏」と書いて枕の下において寝たのである。そうするようにしてからは、よく眠れた。おまじない大成功である。
 その時、書いた紙をデジカメで写してこのブログに貼ろうと思ったが、蛍光ペンの字が薄すぎてうまく写らないので、断念した。前置き3分の2、本文3分の1のブログ終了。
(第11話、1月12日記)

退院

2007年1月11日

 入院というブログがあるのだから、退院というブログがあってもおかしくない。退院以外の病院からの出方は、夜逃げか霊柩車で出ることなどが考えられる。
 さて、本日1週間ぶりに娑婆に出てきた。狭心症の発作で入院したことから、ニトログリセリンのスプレーを今後は肌身離さず持ち歩くように指導を受けた。以前は、錠剤であったそうだ。ちなみにスプレーは100回位使えるとか。そんなに発作を起こしたくないよね。スプレーという言葉を聞いたとき、飛行機に乗れるのだろうかと心配になった。セキュリティチェックで、スプレー缶は機内に持ち込めない。念のため、ニトログリセリンの錠剤も処方してもらう。
 病院から帰宅後は、少しお散歩をした。ちょうど、図書館からCDを返却しろという電話がかかってきたので、ヤマダ電機(プリンタのインクカートリッジを捨てる)、みずほ銀行記帳、図書館(CD返却)、100円ショップ(ニトロの錠剤を入れるペンダントのようなものがないか探す。発見できず)を回る。あちこちで止まったので、歩いた距離は大したことはないが、1時間以上が経過。
 帰宅したら、神様はお疲れのようでお昼寝中。もちろん、当方に起こす資格なんぞありません。
(第10号、1月11日記)

夜景

2007年1月11日

 "skyscraper"という英単語を習ったのは中学生の頃だと思う。「超高層ビル,摩天楼」という意味である。中学3年生の頃だとすると1965年(昭和40年)ということになる。
 その頃には日本には高層ビルはなかった。したがって、ふ~ん、アメリカ、特にニューヨークにすごく高いビルディング群があるのだというぐらいの受け止め方であった。我が日本における高層ビルの先駆けである霞ケ関ビルの完成は1968年(昭和43年)であるらしい。
 また、新宿副都心の高層ビルのはしりである京王プラザホテルの完成は1971年、次がちよっとあいて、1974年完成は新宿住友ビル、KDDビルだそうだ。あとは続々と高層ビルが出来て、年末に行ったビルからは京王プラザホテルを完全に見下ろしていた(「月の蔵ではジョッキが足りません」というブログ参照)。
 [たかがブログを書くにあたって調べることが多いこと。]
 さて、現在入院中の病室からは東京の夜景がよく見える。ちなみに差額べッド代が11,000円(もちろん一日につき)である。
  眼についたところから書き連ねてみると、池袋駅と大塚駅の間にあるゴミ焼却場の煙突、サンシャイン、市ケ谷にある自衛隊の鉄塔、東京タワー(もう高さはさほどでもないが夜はライトアップされるのでよくわかる)、代々木のドコモタワー、新宿副都心(ビルが集中しているのでどれがどれやら。昼間見ると一際高いのが都庁)、副都心の外れにオペラシティー。少し離れて中野サンプラザ、NTTビル(中野駅前の黒いビル)が見える。
 識別できたものだけ書いたけれど、かの六本木ヒルズ、秋葉原、中野坂上とかは見えないのだろうか。
 それから思うことは、新宿副都心は別にして高層ビルがあちらにポツリ、こちらにポツリと立っているのがいかにも無秩序で、アジア的ですなあということ。
 もう一点は「赤い灯、青い灯」は道頓堀だけど、東京の夜は点滅する赤い灯、赤い灯である。
 今となっては生れ故郷の神戸に移り住みたいとは思わないが、六甲山頂から見る神戸の夜景は懐しい。
(第9号、1月10曰記)