2007年1月(3)

暖冬

2007年1月30日

今年の冬は本当に暖冬である。東京では、雪になりそうな気配すらない。天気予報によると、今日も明日もずい分暖かいらしい。仙台に赴任している息子が週末家に戻って来て、仙台も雪がないといっていた。珍しいことらしいとのこと。
 金曜日に出かけた札幌も、東京の住人としては大層な雪なのだけど、地元の人にいわせると、先週ようやく雪が降った。これで、例年の半分であるとのことであった。
 車の窓ガラスが凍った時に備えて、三角形の雪落しを車に積んでいるが、今年は出番が全くなかった。それでも、今朝は天気がいいので早朝冷え込んだのか、前面のガラスにうっすらと氷がはっていた。それでも、三角形の雪落し(名称不明)の露を落とす部分(ゴム製)で、十分凍りかきができてしまった。
 今週の木曜日からは2月になるが、1回ぐらい雪が積もらないと、スタッドレスタイヤをはいている意味がないよ。
(第27話、1月30日記)

サウナスーツ

2007年1月29日

 先週の金曜日あたりにホームセンタの広告が入った。その中にサウナスーツ1,000円、ダイエットスパッツ同じく1,000円というのがあった。
 昨日は所用で行けなかったので、今朝9時過ぎに家を出た。黒目川(一応一級河川)沿いを歩いて、目的地付近に着いた時点で9時30分であった。店の前で待つのもつまらないので、さらに上流目指して歩く。川の左岸(右岸、左岸は川の上流から下流方向を見て、右か左をいう)を歩いて行く。
 いい時間になったので引き返そうかとも思ったが、もと来た道を戻るのも面白くないので、次の橋で右岸側を戻ることにした。上流の橋は馬喰橋という面白い名前であった。
 目的の店に着いたのは1O時10分であった。さて目的のサウナスーツはMサイズが一つ残っているだけであった。誰しも考えることは同じらしい。寸法を見たが着るのは到底無理そうであった。
 もう一つのダイエットスパッツはLサイズもあったが、こちらの方は婦人用であった。
 楽をしてやせようとする甘い話はないということでありました。地道に歩いて減量するしか方策はないようだ。
(第27話、1月28日記)

ランキング

2007年1月28日

 この原稿を書いている左側に「アクセス状況を見る」というボタンがある。
 一つ前の原稿をアップした後、ボタンを押してみた。先週のアクセス状況が表示されていた。それによると、1月21日から27日の閲覧数が411、アクセスIP数が183とあり、710,880ブログ中順位なしであった。
 どれぐらいアクセスがあれば順位がつくのだろうか。トップテンあたりではどれほどのアクセスがあるのだろうかと思う。
 それにしても、毎日71万もの人がブログをアップしている。この情報もまた、Google社が扱って整理されていく。こうして、世界中の情報がアメリカに集まっていく。それでいいのだろうか。かといって、「Google掲載お断り」というわけにもいかないし。
(第26話、1月28日起きたてに記す)

素人

2007年1月28日

 昔録音しまくったカセットテープをmp3ファイル化していることは次前書いた。
 今日は久々に編集を行った。やり方としてはテープの片面全部を一つのmp3ファイルにする。それから各楽章に分けるというやり方である。楽章の切れ目はへッドホンで聴きながら、ファイルの最初から何分何秒の位置とメモしておく。あるいは、楽章のかわり目だと思うところで一時停止をして、ファイルをつくってしまう。
 今朝はオットー・クレンペラー指揮フイルハーモニア管弦楽団でべ一卜一ヴェンの交響曲第8番を分割し始めた。
 第1楽章、第2楽章、第3楽章と分割したらファイルがなくなってしまった。
所詮やはり素人だ。
 それでどうしたかというと手持ちのイッセルシュテット指揮ウイーンフィルハーモニー管弦楽団のべー卜ーヴェン交響曲全集を引っぱり出した。
 解説書によると第1~4楽章はそれぞれ、9分58秒、3分54秒、5分9秒、8分4秒が録音時間らしい。それでもう一度ファイルを見直してみると、第1と第2を一つの楽章としてしまっていたことがわかった。分割をやり直して目出度く4楽章からなる交響曲第8番のファイルが完成した。
(第25話、1月27日記)

恋の町札幌

2007年1月27日

 札幌に来たのは何年ぶりだろうか。5~6年ぶりではないかと思う。前回来た時も確か曰帰りであった。今回も日帰りである。
 道には雪が残っているので、市内をうろうろする気にもならず、会議が終ったらすぐに地下鉄、JR北海道を乗り継いで空港までやって来た。
 カラオケで歌った恋の町札幌には縁がなく、また空港のレストラン街のウニ丼とかにも興味がなく、札幌ラーメンもうまいと思わないので、空港で何を食べるか大いに迷う。結局、ロースカツ定食をいただくことにした。グラスワインをつけたかったのだが、メニューにないので冷酒一本を注文した。
 札幌ラーメンうんぬんと書いたが、ずい分以前の話になるが、地元の人に有名なラーメン横丁はダメでこちらがいいと、新ラーメン横丁なるところに連れて行ってもらったことがある。
 うまいというふれこみだったけど、食べた本人はうまいとも何とも思わなかった。ご馳走になったのに申し訳ないが、そうなのだから仕方がない。
 だから今回もラーメンはパスである。
 話は題からずい分それていったが、一合のつもりで頼んだ冷酒が330mlの瓶であった。約2合である。退院以来、100mlのワインは毎夜飲んでいるが今夜は普段(といってもまだ2週間だけど)の3倍飲んだことになる。
 それでこのブログをPDAで書いている間もほろ酔いでふわふわしている。よって、本曰の題名となったという訳。
(第24話、1月26日記)

心配症

2007年1月27日

 乗物に乗る時は定刻よりも十分(じゅうぶん。じゅっぷんではない)前に駅とかに着いていないと気が済まない。飛行機に乗る時は特にそうなる。
 今日は8時30分のJALで札幌に行くのだが、PDAを使ってこのブログを書いている今、7時15分には空港に着いている。
 どうしてそうなってしまうのだろう。まず、駅すぱーとで電車の時間を調べる時に到着時間を1時間位前に設定する。そうすると最寄駅での出発時間が出て来る。その次の問題は我家の場合、駅までバスとか夕クシーを利用しないと行けないという問題である。もっとも休みの日にはウォーキングの一環として30分かけて歩いて行くのだけれど。
 今日は始発のバスでは計算上間に合うのだけれど、心配症の人間には採用できない出発時間である。
 次の手はタクシーなんだけど、6時前あたりは夕クシーがあてにならない。どうしても早く家を出ないと気が済まない。
 タクシーを使わない手はないだろうか。歩くと暑くなるし、自転車は寒い。そうだ!車で別の駅に行けばいい。24時間以内なら駐車料金は1,500円だ。
 そういう訳で今朝は車で家を出た。
 各駅の出発時間を書くと、
・5時45分東武東上線和光市駅発。池袋行きの急行に駆け込む
・6時3分山手線内回り池袋駅発。早朝にもかかわらず人が多い
・6時38分京品急行線品川発。羽田空港行き急行
 7時ちょっと前に羽田空港駅着。チェックインして、搭乗口の前でブログを書き始める。こうして心配症の人間の一日が始まった。
(第23話、1月26日記)

散歩

2007年1月23日

 11日に退院して以来、機会をとらえて毎日歩くように心がけている。会社にいる時も昼休み歩くようにしている。弁当を食べて、歯を磨くと12時25分近くになる。それから、靴を安全靴に履き替えて(最近は安全靴がウォーキングシューズと化している)、近所を歩く。
 先週は火曜日から出社したが昼休みとことこ歩いた。水曜日は雨が降っていたので、見送り。木曜日は歩いた。金曜日は寒かった。防寒着を着ていたが、フードをかぶった。軍手の一つぐらいありそうなものだけど、みつからなかったので、素手で出てきた。寒くて、ポケットに手を入れて歩いた。
 昨日は、都会に出ていたので、昼休みは本屋を探して歩く。しかし、出歩いたかいがあって、いい本を見つけて買った。
 「Visual Basic 2005 逆引き大全 500の極意」、池谷京子、増田智明、国本温子著、秀和システム、本体2,600円
である。今こっているVisual Basic 2005にはぴったりである。
 会社の帰りは、岩波書店の本を買いたくて神保町をうろうろする。地図で岩波書店というのを見つけて行ってみたが、地図に岩波書店とあっても岩波書店の本社であって、書店ではない。別館も同様であった。地下鉄の出口のところにある岩波ホールにもお店はなかった。途方にくれて、池袋の本屋を探すかと思ったが、ふと見たら、岩波ブックセンター信山社というのがあって、そこで欲しかった本を見つけた。やれやれ。
 本日の散歩用に先週の経験を生かして軍手を家から持ってきた。あわせて、日曜日に100円ショップで買った500グラムの重りも持って来て、両手に持って約20分歩いた。風は冷たいけれど、草は芽吹き始めているように見える。
 今朝計った体重は退院以来最低を記録した。このまま順調に減っていけばいいのだが。家に車を停められるように車庫を作ったので、家で歩くのは文字通り三歩。外で歩かねば。
(第22話、1月23日記)

HP-BASIC

2007年1月23日

 FORTRAN、ALGOL、アセンプラと書いてきたら、HP-BASICのことを書いておかないと、自分のプログラミングの話は終わらない(昨夜懲りたので、この文章はエディタを使って書いている)。
 会社に入った頃、すぐにHP(Hewlett Packard)の測定器が故障した。修理に人を呼んだら、30数年前に10万円ぐらい請求された。その頃、自分の給料は5万円ぐらいであったのに。
 その後もなんだかんだと、HPの測定器と縁があった。そのうち、測定器をパソコンで制御できるようになった。測定器とパソコンをつなぐインタフェースは、当初HP-IBといっていたが、デファクトスタンダードになってGP-IBということになった。
 パソコンの方は、BASICでプログラムを組んだが、これはよくできていた。手帳ぐらいのマニュアルを見ながら、定期的に測定するとか、グラフを書いて行くとか、結果をファイルに残していくとか自在にできた。おまけにパックマンで遊ぶのにも大いに役立った。
 そのうち、CSUB(Compiled sub-program)というのが出てきた。高速処理したい部分をPascalで書いてそれをコンパイルしたコードをサブプログラムに使用すると高速で処理できるということであった。
 数字の並べ替えを試しにやってみると、確かに大幅に早くなっていることがわかった。
 そのうち、PC98に市販のGP-IBボードを差し込んで、国産の測定器をコントロールするようになっていった。安定性は最初はHPに比べると見劣りしたが、次第に改善されて行った。そういうことで、HPの測定器も見なくなったなあ。HPのパソコンも見なくなったなあ。
これも時代の趨勢でしょうか。
(第21話、1月23日記)
==> HPといえば昔は各種測定器やミニコンとかに信頼を置いていたが、最近はそうでもないな。会社のプリンタ(A1用)にはまいった。修理代金は昔同様非常に高いが、なおらない。馬小屋にもどったらどうだ。

アセンブラ

2007年1月23日

 昨夜、タイトルを「アセンプラ」と書いて本文を入力し始めた。数百文字を入力した後、ふと調べたい言葉が出てきた。画面をお気に入りに変えて、元に戻ろうとした時に「はっ」とした。やはり、Goo上に入力した文字は消滅していた。ショックだったので、昨日はそのまま寝てしまった。今朝、リベンジをしている。
 さて、アセンブラについて書こうと思ったのは、FORTRAN、ALGOLと書いてきたので、アセンブラについても書いておくべきだと思ったためである。
 これまた、話は学生時代までさかのぼる。今年は、唱和でいうと82年なので、いまをさること35年前ということになる。学生実験の課題が、NECの小型(か中型か定かではないが、2206という型番だったように記憶している)コンピュータを使って、円周率を計算するというものである。
 計算方法として示されたのは、半径1の半円の面積(ちょうどπになる)をシンプソンの公式を用いて求めることから計算せよというものであった。当然、sinやcos、それから√もつかえないから別の手法で計算する必要がある。
 √aの計算にはたしか次の式を用いた。
 次の近似値=(前の近似値+a/前の近似値)/2
 ちなみに、この計算を繰り返して√2を計算すると、一番最初の近似値を1とすると、5番目の近似値として665857/470832が得られる(昨日つまらない会議があったので、席上ノートに計算していた)。これを計算してみると有名な「ひとよひとよにひとみごろ」までぴったり一致する。
 アルゴリズムを考えて、プログラムを紙テープに打ちこむ。FORTRANの時は、パンチカードだったが、今回は紙テープである。使用した言語は、アセンブラだったと思う。MOVとかADDと打ちこんだのか、それとも対応する番号を打ちこんだのかは記憶にない。
 ともかく、「さんいしいこくにむ」位までは計算できたように思う。結果はコンソールの紙に印刷されたのだろうな。それとも紙テープで出てきたのだろうか。これまた記憶がない。
 課題の提出は紙テープを提出することであった。ここで、おもしろいことが起こった。プログラムの先頭には、コマンドを開始する番地を入れるのだが、500から1000番地を入れなさいということであった。そこで、自分の誕生日の数字を入れた。
 できあがったプログラムの紙テープはコピーして友達にやった。それがあちこちめぐって、とうとう俺の誕生日の数字を先頭に書かなければならないと認識した人がたくさん出てきた(500から1000番地といったのを聞いていない)。
 そのあとも、アセンブラの小さなプログラムを遊びで作った。8086のアセンブラとかやったね。コードが軽くてよかった。
(第20話、1月23日記)

ALGOL

2007年1月21日

 FORTRANは学生時代だけでなく、会社に入ってからもよく使った。茨城でカードを読ませるとそれが武蔵野に飛んで、バッチで処理された。進行が遅いので、問い合わせたら処理を一番最後に回しやがった。その時の武蔵野にいたやつは鳩の糞にあたって死んじまえ。
 さて、FORTRANのことを書いたのなら、ALGOLについても書いておかなければならない。ALGOLはALGOrithmic Languageから作られた用語らしい。ちなみに学生時代に知っていたプログラミング言語は、FORTRAN、ALGOL、COBOLであるが、COBOLとは全く縁がなかったので取り上げられない。
 学生の頃、学部に何とかあがったけど、毎回試験をする講義が気に入らなくて、選択科目として取らなかった。かわりに別の色々な講義を選択科目として取ったのだが、その中に確か「機械計算法」という名前の科目があった。講義には全くといっていい程出なかったが、中味はALGOLであった。それで、例によって図書館でALGOLを勉強した。試験は、ALGOLでプログラムを書くものだったが、独学が効いて2単位取得に成功した(昔は勉強したことが頭に入って、残ったんだね)。
 勉強した時の印象は、使う変数をいちいち宣言するんだ!ということと、FORTRANではできない(当時はできなかった)再帰呼び出しができる!ということであった。試験の問題も忘れたが、再帰呼び出しを使わないと組めないような問題であった(「再帰呼び出し」という言葉を聞いたことのない方は、ググって下さい)。
 実際にALGOLを使ったことはない(計算機を扱っていた講座の先輩もやめておいたほうがいいといった。当時は、FORTRANに色々な関数計算とかのライブラリーがそろっていたので、ALGOLを引き出す必要はなかったと思う)。だが、その後PascalとかC言語を使うときに生きているのでないかと思う。
 このブログを書くにあたってALGOLを調べてみたけれど、もうポシャってしまっているようだ。歴史の流れだね。
(第19話、1月21日記)