2008年2~1月

スカパー光

2008年2月28日

 突如思い立ってスカパー光を申し込んだ。会社のホームページで工事費無料というのが目に入ったためである。
NTT東日本のホームページによると、Bフレッツに新規に加入すると同時にスカパー光を申し込むと、工事費無料であるが、我が家のように既にBフレッツに加入している場合は、工事費20,790円がかかると書いてある。
 昨年7月にも一度検討したことがある。そのときは、Jcomのディジタルと比較したのだが、どっちもどっちという感じであったので、見送っていた。スカパー光を見送ったのは工事費がネックであったし、Jcomは自社ブランドのHDDレコーダーが気に入らなかったためである。
 分配器とか同軸ケーブルとかいろいろ買い集めていた。NTT東日本の工事は、25日の午後であったが、1時間かからずに終了した。V-ONUを設置していったが、スカパーの確認の方はテレビに同軸をつないで、映ったらおしまい。工事は珍しく女性の方が登場した。
 その後はえっちらおっちら接続工事を行う(サントリーのカロリーを飲みながら)。
 接続は上流側から見てゆくと、V-ONUと3分配器が接続される。3分配器の出力1はBSアップコンバータ、出力2はスカパーチューナー、出力3は既設のブースターに逆送りする予定だがとりあえずはダミー抵抗を接続した。BSアップコンバータの出力端子は2つあり、一つはBS-IFが出力されるので、HDDレコーダ(パナソニックDMR-XP11)のBS/CSアンテナ端子に接続した。もう一方の端子にはBS/CS、UHF、VHFの分波器を接続し、BS/CSは意味がないのでダミー抵抗を接続する。UHF出力はHDDレコーダーの地デジ入力に、VHFはV/U端子(アンテナからと表示)に接続した。テレビにはV/U端子(テレビへと表示)から同軸ケーブルをのばす。AVケーブルの接続方法についてはここでは省略する。
 さて、このように設定してスカパーのサービスセンタにサービス開始のために電話を入れる。2週間はサービスで全てのチャンネルが見れるということであった。また、各チャンネル順次時間をおいて見えるようになるとのことであった。
 しばらく待つと、確かに見えるようになった。
 さて、翌日に26日になった。朝、地上アナログの画面がおかしいことに気がついた。雪が降っている。アナログだけでなく、スカパーのチャンネルも見えない。なぜか地デジ、BSディジタルは映る。
 そこで、昨日スカパーのサービスセンタに会社から電話を入れる。状況を説明すると、7時頃自宅に電話を入れるとのこと。
 帰宅して待っていると、約束どおりスカパーのサービスセンタから電話が入った。電話での指示に従い、接続替えを行う。
 まず、V-ONUの出力を直接スカパーチューナーに接続してみる。受信レベルを測定する機能がついている。受信レベルは目一杯の100であった。これで、V-ONUとスカパーチューナーには異常がないことがわかった。次に、V-ONUの出力をHDDレコーダーのV/U端子(アンテナからと表示)に直接接続してみると、地上アナログもばっちりと映った。
 そうすると結論は3分配器がおかしいということになる。ここまで、丁寧に電話を通じて指導していただいた。なるほど。分配器の方は3,000円ぐらいしたのに一夜でパーか。
 ガラクタ箱をひっくり返して、古い2分配器を引っ張り出した。これを使ってみると、みんなきちんと映った。お疲れ様でした。ウィスキーソーダが苦くてうまい。
(130話、2月28日記)

島抜け

2008年2月19日

 タイトルの本は図書館で借りて来たうちの一冊である。
 著者は吉村 昭さんで、新潮社から2000年8月に発行されたということだ。ブログのタイトルに使った「島抜け」の他に「欠けた椀」、「梅の刺青」の3編が収められている(本日現在、読んだのは「島抜け」だけだが)。
 島流しというと八丈島を連想するが、小説の主人公達は大阪あたりで御用になったためか、流された島は種子島であったという。大阪から薩摩、それから種子島に護送されている。島流しといっても、東と西では行き先が異なっていたというわけだ。
 さて、「吉村 昭」でインターネットで検索すると二つの重要な事項を発見する。一つは史実に忠実な作家ということ、もう一つは癌治療中に自ら点滴等のパイプをひきぬいて覚悟の死を遂げたことである(奥さんが津村 節子さんということを重要視する方にとっては三つの重要事項ということになるかな)。
 前者の史実に忠実ということからは、事実に出来る限り近づけた小説ということになるのだろうか。実際に、種子島に流罪となり、その後脱走(「島抜け」)し、中国経由で帰国した人たちがいたということなのだろうか。
 さて、インターネットでいろいろ調べていると、最晩年に書いていた「死顔」という本が出版されていることがわかった。吉村さんの最後は上述のように劇的なものであるので、読んでみようと思い、早速セブンアンドワイで注文した。
 読んだ後、書く意欲があるならば読後感を後日。
(129話、2月19日記)

初打ち2008

2008年2月18日

 EmEditorというフリーソフトをインストールしてみたので、その使い勝手の検証も兼ねてブログを書いてみた(エディタで編集したものをコピー&ペーストするという方法)。
 本ブログのタイトル「初打ち2008」は過去におそらく「初打ち」というタイトルのブログがあったと記憶しているので、2008を付けた次第である。
 中部銀次郎さんの本を読んでいたら、「寒い冬はゴルフはやらない」という記述を見つけて、寒がりの拙者としては、昨年来、賛同・実行に至っている。
 なにしろ、ゴルフボールを打つのは今年になって2回目なので、ボールに当たるかどうか不安であった。
 東コース1番ミドルホールのティーショットには、普段ならスプーン、クリークあたりを持ち出すところであるが、寒くて飛ばないだろうという見通しのもと、ドライバーを抜き出した(といっても抜き出したのはキャディーさん。スコアカードにキャディさんの名前を普段は書くのだけれど、昨日は忘れた)。
 さて注目の第1打は、そこそこ当たったが、落ち際にフックして左ラフへ。前の木が邪魔でグリーンは直接狙えない状況であった。練習をしていないという自覚があったので、グリーン右手前あたりをねらってピッチングウェッジで打つ。ボールはグリーンの脇まで転がる。アプローチは方向が怪しかったが、ピン上についた。距離は5歩というところか(4.5メートル位)。
下りの力加減が難しいパットであったが、真っ直ぐのラインであったので、パースタートとなった。続くショートホールもパーで、快調というか怪調な出だしであった。そう、経験上ではバーディスタートなんかすると、ろくなスコアにならない。
 まあ、あれやこれやでパー71のところを92で回ったのは、初打ちとしてはまずまずの出来だと思う。特にパターは全く練習していなかったが、30パットで、3パットなしだからよしとしよう。その分、ショットは62回打っている。
 帰りはゴルフ場の風呂にも入らず、車で飛び出す。普段なら圏央道を鶴ヶ島JCTの方向に走るところを八王子JCTの方向に走る。八王子JCTからは中央道、首都高と走り、一昨日山梨の帰りに通った山手トンネルをまた通る。
 渋滞もなく順調に帰宅したが、今日地図を眺めてみると、あきる野ICから大泉IC付近までのコースは、鶴ヶ島JCT経由のコースを三角形の2辺をたどるコースだとすると、八王子JCTコースは円周の4分の3ぐらいを走る感じだった。
 ところで、エディタの方だけど、画面はこれまで使っていたMKEditorよりも見易い。その他の機能は、まだ使っていないのでなんともいえない。
(第128話、2月18日記)

SuperBowlXLII

2008年2月13日

 今シーズンはアメフトを余り見なかったな。見た試合の中には、終盤に逆転する面白い試合もあった(対戦チーム名は忘れたが)。さて、本年のSuperBowlXLII(-10+50+2=42)はペイトリオッツ対ニューヨークジャイアンツというカードであった。
 しかし、どういうわけか余り見る気がなく、今日にいたるまでBSもガオラもG+も見ていない。どうしてなんだろう。
 最近、読書にいそしんでいるせいだろうか。仕事が忙しかったか(それは、ないない)。
 他人には理解できない理由が思い当たる。どうもマニング兄弟が嫌いらしい。ブレイディも余り好きではないということである。何故か。
 彼ら白人QBは冷たい感じがただよう(ファーブとかロスリスバーガはぬけているところもあって、まだ許容できるが)。そんな訳で見る気がしなかった。
 では、黒人QBなら見たかというとそれはどうだかわからない。
 ゴルフで言うとタイガー・ウッズが画面に登場すると見ない。何故か。奴は調子が悪いとクラブをたたきつける。ちょっといいときは、大口開けてほえまくる。馬鹿でないか。
 そんな奴は見たくない。そんなわけで、ウッズが出ないPGAの試合は見る!拙者は変わっているのだろうか。
 ほかのスポーツはどうだろう。ツールドフランスの録画をケーブルテレビで週末放送しているが、如何せん試合時間が長すぎて付き合いきれない。
 ヨーロッパの町並みをきれいだな、どうして日本の町並みはゴチャゴチャなんだろうと思いつつしばらく見ておしまい。
 早く暖かくならないかな。そうなれば、自転車で走り回れるのに。
(127話、2月13日記)

青色その2

2008年2月12日

 先日図書館で青色LEDに関する次の2冊の本を借りた。
(1)ごめん-青色LED開発者最後の独白!、中村修二著、ダイヤモンド社
(2)考える力やりぬく力-私の方法、中村修二著、三笠書房
 また、これとほぼ時期を同じくして2冊の本をセブンアンドワイ経由で購入した。
(3)がんばらない、鎌田實、集英社文庫
(4)なげださない、鎌田實、集英社
 このうちの(1)は中村氏と日亜化学との裁判に関するものである。「ごめん」というのは、裁判が東京高裁において和解となって、地裁の約800億円が百分の一になってしまったことに対する技術者へのお詫びということである。
 (2)は青色LED開発に関する過程が述べられている。拙者としては、(1)よりもこの本の方が読みやすかった。(1)は裁判関係の書面の写しは飛ばして読んだので、裁判の経過はそういうことですかという感想のみである。
 (3)、(4)は諏訪中央病院の院長先生の著作である。
 これらの本を読んでみて思うことは、拙者はこれらの著者の対極にいる人間だなあということである。
 「がんばらない」、「なげだす」、「あきらめる」、「自己弁護する」、「ひとのせいにする」といったことは大得意であるけれど、一つのことをつきつめてゆき、何かを達成することは苦手である、というか逃げてきていた。
 拙者と同じような意識、行動パターンの方が書いた本も読んでみたいと思ったが、ふと気がついた。拙者と同様、中村氏や鎌田氏の対極にいる人間は本など書かない-書けない-なということを。もし仮に書いたとしても、そんな本は面白くないから、売れない。だから、出版もされない。
 「あなたが自己出版をした本を書店におきます。売れます」とかいった本屋はつぶれて、金だけ払わされた人がたくさんいたようだが。
 このブログがいつか立てた目標の1,000話に達したとしても、他人が読むに値するものにはならない。せいぜい、自分で印刷して納得するぐらいだ。
 でも、「これでいいのだ!」。こうやって、拙者は生きてきた。人間の生き方はそうそう変えられない。だから後悔もしないようにしようと思う。
(126話、2月12日記)

青色

2008年2月3日

 雪をついて図書館まで歩いた。借りていた本を9冊返却するのと、近くのトヨタのディーラーで抽選をするのが目的である。悪天候の中、わざわざこの抽選に出かけたのは昨年熱川温泉行きが当選したからである。2匹目のドジョウをねらったというわけである。
 さて、本日借りてきた本は、
(1)清潔はビョーキだ
藤田紘一郎著
朝日新聞社・・・早速読んでみたが、先生の論理はこれまで読んだ本、聴いた講演と同じであった。一つの論理をかたちづくると、同じような本が何冊も書けるということか。
(2)イヌからネコから伝染(うつ)るんです
藤田紘一郎著
講談社
(3)武蔵野歴史散歩1
伊佐九三四郎著
有峰書店新社
(4)代官の日常生活
江戸の中間管理職
西沢淳男著
講談社新書-メチエ
(5)「青色」に挑んだ男たち
中村修二と異端の研究者列伝
日本経済新聞社
 このブログのタイトルはこの本の題名から取った。
 中村さん以外に何人かの研究者が取り上げられているが、中村さん関係の章だけ読んだ。拙者も一応研究者と呼ばれた時代があった。しかし、何らの成果もなく、幕を閉じている。
 深く踏み込めないで、ずるずるすごしてきた。もう一度やればもう少し、うまく立ち回れるのだろうか。そううまくはいかないだろうな。まあ、過ぎてしまったことは仕方がないか。
(第125話、2月3日記)

書くと書ける

2008年1月31日

 最近立て続けにセブンアンドアイで本を購入した。インターネットで注文して、会社の近くのセブンイレブンで引き取るという方法である。前回のブログで取り上げた「のぼうの城」もそうである。
 この方法だと、アマゾンだと配送料がかかる1,500円以下でも配送料は取られない。会社の帰りに車で立ち寄ったのが1回、出張に出かける途中で徒歩で立ち寄ったのが1回である。一つ難点を言えば、埼玉の田舎のくせに交通量の多い道路を横断するところである。
 この本を書いた鈴木信一さんは1962年生まれとあるから、拙者よりも12歳若い。ということは、45歳か。拙者の45歳というと、腹を切ったダメージからようやく回復してゴルフにのめりこみ始めた頃か。
 本の中に和光国際高校で著者が教鞭をとっていたことをうかがわせる記述がある。会社の帰りにこの高校のそばをよく通るので、親近感が湧いてくる。彼が教えていた女生徒が彼氏といた公園というのはきっと学校の裏手の和光樹林公園のことなんだろうと思う。
 さて、ブログのタイトルにした「書くと書ける」という言葉は本の中に出てくる。「書けば書ける」とか「やればできる」ではなく、「書くと書ける」のだそうだ。確かに、このブログもタイトルを打ち込んで、本の買い方のことを書き始めたら、なんだかんだと書くことが浮かんできてここまでたどり着いた。
 書いてゆくと確かに文章の量は増えていく。いつまでもいつまでも続いてゆくのかもしれない。しかし、その文章が読み手をあきさせないかどうかは、文章の書き方によるそうだ。読み手の「期待感」、「達成感」にお答えする必要があるようである。
 そのあたりのテクニックは、磨けば身についてゆくのだろうか。それとも、それは本人が生まれながらに持っている「文才」と呼ばれるもので、どうにもならないものなのだろうか。
(第124話、1月31日記)

のぼうの城

2008年1月22日

 表題の本は、通勤途上の車の中で聞いているTBSラジオで紹介された。
 本社に出張した帰り、最寄り駅前の本屋で購入した。そして、翌日一気に読破した。
 忍(おし)城という名前は聞いたことがあったが、ここを高松城のように水攻めにしたことは知らなかった。自転車で2度ほど走った荒川右岸の反対、左岸にあるようだ。自転車で行けるかな。
 荒川と利根川の間の湿地にある城を堤防を築いて水攻めにしようというからには、荒川か利根川のいずれかを決壊させて水を引き込んだのかね。どちらにしても、そう簡単に扱える川ではないと思うけど。
 しかし、20kmを越える堤防を5日間で作ったらしい。昔の人はよく働いたね。うちの近所の道路舗装のやりかえは何ヶ月のかかっているというのに。
 「のぼうの城」を読んだ後、インターネットで「忍城」を検索して、色々読んでみるうちに、同様のテーマで書かれている(と思われる)本を見つけた。早速、インターネットで注文した。その本のタイトルは、「水の城 いまだ落城せず」である。
(第123話、1月22日記)

ワースト10

2008年1月22日

 人類の発明にべスト10ならぬワーストl0があったとしたら、第1位は間違いなく原水爆であろう。
 そして日本社会においては携帯電話も上位に入る。車を運転しながら、自転車に乗りながら、さらには歩きながら携帯の画面に見入っている。邪魔なことこの上ない。携帯電話がワースト10に入る発明ではなく、日本人が馬鹿(あるいは一億総白痴化の白痴)になっただけなのかもしれないが。
 それから忘れてはならないのは、「ウォ一クマン」である。今朝電車に乗った時、駅に近づいて電車の走行音が静かになった時、何処からともなく騒々しい雑音が聞こえる。音量がとてもなく大きいのか、耳にあたる部分の音の閉じ込めが十分でないのか?
 でも最近の結論はこうだ。頭が空のやつらは、空洞の中でよく共鳴して大きな音が放出されるという考えだ。
 この国はどうなっていくのか。世襲の政治屋だらけ、なんとか族だらけの国会議員、「憂国」という言葉は死語か。
(第122話、1月22日記)